第74回 御木本幸吉(その三)「真珠王」も怒る―貴族院議員に選ばれ権勢をふるった末の村民との軋轢

大正十二年九月一日。
関東大震災が起きた。
銀座四丁目の御木本真珠店は全焼。
内幸町の第一工場も倒壊した。
ちょうど、皇太子御成婚式用の装身具を制作中であったため、幸吉の心痛は大きかったが、幸い、御下命の装身具は、無事だったという。

幸吉は、猛火と被災者の波をかきわけ、やっとの思いで、それらを宮内省に運びこんだ。
全焼した真珠店は、震災後いち早く、元の場所で、木造二階建てで再建された。
大正十三年十一月、幸吉は多額納税者として貴族院議員に勅撰されている。

御木本の養殖漁場は、大正末年にいたるまで、順調に拡張されていった。
ようやく、一息ついた翌十四年十月、大阪朝日新聞に次のような記事が掲載された。

「三重県の前多額議員にして真珠王として、その名を知られた御木本クンと立神村民との間に、同村沖合の漁業権問題の争ひがおこつて居る。双方とも相当ないひ分があるらしい。ことにそれを法律的に見た場合、どちらが有利な立場にあるかといふことは、最初からの事情を知らない第三者の立ち入るべきことでないが、しかしこれを条理上から見るならば、問題の解決は別に困難なものではあるまい」

そうして、母貝一貫目が、五十銭であった二十年前の報償額を、その相場が十倍になっている現在、据え置く事が理にかなっているのか、当局の決断を待ちたい、という主旨の記事であった。

幸吉は、強く反発した。
県知事は当初、御木本に肩入れをしていた。
村民たちは、百人前後の動員をかけて、御木本に圧力を加えつづけた。

年の瀬もせまった十二月二十八日。
村長や組合長は、県庁に出頭し、知事に組合総会の決議を、報告した。
一方、幸吉は、一度も県庁に出頭せず、この日の最終決定にも、代理人を送り込んで知事をなじったのである。

代理人の発言に、知事は憤然とし、かく語ったという。
御木本は、まるで大臣か貴族のような態度に出ているが、主人が主人だから君たちまでそういう態度に出るのだ。自分はかりそめにも一県の知事である。礼を失した言は慎まれたい・・・・・・。

結局、この闘争は村民の勝利に終わった。
翌十五年の初春、冷潮に襲われて多数の真珠貝が死んだ。真珠業者は生き残った貝を暖かい海に移す必要があった。

ところが御木本幸吉は、県知事を動かして、英虞湾内の真珠貝の移動と、湾内での真珠貝採捕を禁止する県令を発布させようとしたのである。