田原総一朗×植木義晴(JAL社長)【第1回】「パイロット出身社長がどうやってJALを再建したのか」
[左]植木義晴さん(JAL代表取締役社長)、[右]田原総一朗さん(ジャーナリスト)

会社更生法を申請した日も機長として飛んでいました

田原: 植木さんは元々パイロットでJALに入社されたんですか? JALにパイロットで入るためには、学校はどういうところに行かれるんですか?

植木: 今もそうなんですが、基本的には大きく二つのルートがありまして、一つは通常の大学を卒業した方々を自社でいちから訓練するというもの。うちは職種別採用なのでパイロット訓練生として採用し、当社のなかで全部訓練をするルートがあります。

田原: どこで訓練するんですか?

植木: 今は閉鎖しましたが、昔はカリフォルニア州のナパ空港というところにJALの訓練施設があったんですよ。ですから、実機訓練は大体そのナパ空港でやっていまして、座学という事前の講習なんかは東京でやっていました。

田原: 長崎にもありますよね?

植木: 以前は長崎にもありました。でも、長崎の訓練施設は新規の副操縦士を育てる目的施設ではなくて、たとえば航空機関士で勤めていた人が途中から職種変更してパイロットに変わるための訓練を中心にやっていた施設なんです。

私がナパで訓練を受けてからもう40年くらい経ちます。その頃はナパを中心にやっていたんですが、経営破綻のときに一旦そこは全部撤退したんですね。破綻時に路線のリストラをしたので、しばらくパイロットを養成する必要がなくなってしまいましたから。

それで今度、MPL(Multi-crew Pilot License)という新しいライセンス制度を採り入れました。これでやると今までよりも時間が短く、かつ旅客輸送を目的としたエアラインに向いた養成ができることになります。

それから、パイロットになるためのもう一つのルートは、国土交通省管轄の航空大学校という学校があって、そこを卒業して入るというルートです。私はそれなんです。私も高校を卒業して航空大学校を経て日本航空に入社しました。

田原: それで、経営破綻に陥ったときは、まだパイロットだったんですか? それとも、もう役員だったんですか?

植木: いえいえ、パイロットでした。会社更生法を申請したのが2010年の1月19日でしたが、私はまさしくその日も機長として飛んでいました。

田原: JALがどうやら危ないというのは、いつ頃お気づきになったんですか?

植木: 実は私は経営破綻する2年くらい前から、J-AIRというJALグループの関連航空会社に副社長兼機長として出向していました。J-AIRは今は大阪国際空港をベースにしていますが、当時は小牧市の名古屋空港をベースとしていました。当時は今のようにJALの経営にいなかったので、詳しいことまではおそらくわかっていなかったと思いますが、まあ、危ないぞという機運が伝わりだしたのは、2009年の初頭くらいかと思います。

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