三橋貴明の「第2次所得倍増計画」

【第7回】第三章 公共事業の重要性---大企業と中小企業格差を詰める(前編)
~悪「公共事業」論はやめないか、
デフレ脱却、経済好循環システムを創る!~

2014年04月01日(火) 三橋 貴明
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【第6回】はこちらをご覧ください。

建設の「発想」

さて、前章で書いた通り、安全保障とは「軍事面」に限ったものではない。例えば、

「国民を大規模自然災害から守る」
「老朽化インフラから国民を守る」

なども、立派な安全保障の一部である。

そもそも、安全保障とは「経世済民」の重要要素なのだ。外国から領土を脅かされ続ける国はもちろん、自然災害が発生するたびに人々が生命や財産を失うようであっても、国民は落ち着いて生活やビジネスにいそしむことはできない。

我が国は、歴史的に「外国からの侵略」という脅威に晒されることは少なかった。何しろ、日本は島国だ。我が国が外国の侵略を許したことは、大東亜戦争末期と元寇という例外を除くと、ほとんどなかった。

歴史的に、日本国民はモノを生産し、サービスを供給するための技術、文化、伝統、ノウハウを着実に蓄積することができた。世界の歴史を知れば、これがいかに稀有な史実であるかが理解できる。

例えば、中国や欧州の都市は、その多くが分厚い城壁に囲まれている。遠い地平線の彼方から、いつなんどき騎馬による膨大な外敵が襲来するか、誰にも分からない。ユーラシアのほとんどの国々にとって、「他民族あるいは同胞が攻め寄せ、自分たちを皆殺しにする」ことは、繰り返される歴史の一部だったのである。

それに対し、日本は「城下町」という言葉がある通り、城を囲むように市街地が発展した。街と「外」との境界は、それほど明確ではない。城や街の造り一つとっても、日本と大陸諸国は建設の「発想」が全く違うのだ。

欧州や中国などの大陸諸国においては、異民族など「外敵の襲来」は、普通にあり得ることで、街の住民は協力して「敵」に対抗しなければならなかった。結果、街を城壁で囲むとともに、住民たちはそれぞれが「兵士」としての役割も担い、外敵と戦う必要があった。

結果、大陸諸国の経済人は、資本を蓄積するより「金銀宝石」として財産を確保することを好むようになる。工場の設備や店舗など、設備投資の成果は「持って」逃げるわけにはいかない。だが、金や宝石ならば、いざという時には懐に隠して逃亡してしまえばいいわけだ。大陸諸国の人々が金を好む傾向は現在も続いており、これはジブラルタルから朝鮮半島まで共通した特徴だ。

次ページ それに対し、日本の場合、長い長…
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