ドイツ
ムスリム同胞団529人に死刑判決! いまエジプトで進みつつある民主主義の危機
ムルシー氏の支持者たち〔PHOTO〕gettyimages

3月24日(月)、エジプトのムスリム同胞団のメンバーに対する裁判で、529人に一気に死刑判決が下ったというニュースを読んだのは15時過ぎだった。

第一ドイツテレビのオンラインのホームページを開けた途端、でかでかとトップニュースで出ていたのが目に飛び込んできたのだ。アップされたのが13時2分となっていたので、私は、かなり早くこのニュースに接した人間の一人だったと思う。

「彼らは僕たちの革命を盗んだ」

2011年2月、29年間も続いたムバラク政権が倒れたのは、記憶に新しい。「エジプト革命」と呼ばれるこの動乱は、チュニジアのジャスミン革命に触発されて起こったものだった。

ただ、ムバラク大統領が失脚したからといって、エジプトが民主主義になったわけではない。民主主義の代わりに、まず軍が出てきた。そして、選挙が行われるまでの暫定政権として、軍の最高評議会が全権を掌握したのだった。

その頃、ムスリム同胞団も登場する。イスラム主義の社会宗教グループだ。世俗政権であるムバラク統治下では、宗教政党は禁止されていたため、ムスリム同胞団は抑圧され、違法結社の扱いだった。

ただ、弾圧にもかかわらず、かなりの数の支持者がいたものと思われる。というのも、2005年の人民議会の選挙の際、無所属で立候補したムスリム同胞団のメンバーが、444議席中の88議席を獲得していたからだ。そのムスリム同胞団が、ムバラク失脚と同時に、長年の潜伏から目覚めるように浮上してきたのであった。そして、自由公正党という新政党を結成した。

結果だけを言うと、ムバラク失脚後の初の総選挙で第一党になったのは、この自由公正党だった。続いた大統領選挙でも、やはりムスリム同胞団のムルシー氏が選ばれた。

ただ、大統領選挙の直前、選挙法に不備があったとの理由で、裁判所は3分の1の議員の当選を無効とし、議会の解散を命じた。これにより、ふたたび軍最高評議会が立法権を掌握した。つまり、2012年夏、エジプトの内政は麻のように乱れていたのである。

カイロのタハリール広場でデモをしていた多くの若者は、イスラム主義の政権は、軍事政権以上に嫌っていたに違いない。欲求不満は募った。景気は回復せず、恒常的にデモが発生していた。失業者は増え、治安も悪かった。ムスリム同胞団はあちこちでキリスト教会に火を放ったりしていた。そして、誰も、エジプトを活性させる政策を持たなかった。

ドイツメディアは、「彼ら(ムスリム同胞団)は僕たちの革命を盗んだ」というエジプト青年の言葉を引用してこの進展を憂いたが、しかし、エジプトの権力争いと混乱は、ますます勢いを増していった。

2013年に入ると、治安は極端に悪化した。デモやテロが横行し、多くの死者が出ていた。そして7月、ムルシー政権は軍事クーデターによって、あっけない終焉を迎えたのである。国民は、自分たちの世界が7世紀に後戻りさせられるのを必死で阻止したのだ。そして、軍が再び政権に就いた。

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