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あの先生に出会えてよかった ——私が今日、こうして生きているのは先生のおかげです【第1回】紺野美沙子、川相昌弘

誰にでも恩師と呼べる先生がいるだろう。先生は生徒のことを考え指導をし、生徒は卒業後にやっとその意味を知る。有名人が明かす心温まる話を読めば、あなたも懐かしの日々を思い出すはず。

紺野美沙子 女優
今も電車に乗ると、あの教えがよみがえる

私が女優の道に進むきっかけを作ってくださったのは、小学校5年生のときに出会った荻野節子先生です。

当時、私は川崎市のカリタス小学校というミッション系の学校に通っていました。物心がつくころから「音読」が大好きで、小学校に入ってからは、国語などの教科書を朗読することも楽しかった。無意識に、「演じる」ということに快感を覚えていたのかもしれません。それで、部活動が始まる5年生のとき、迷わず演劇部に入ったのです。

神奈川県は演劇がとても盛んな地域で、毎年県内で「青少年演劇コンクール」という演劇の大会が開かれていました。私が演劇部に入った年は、森鴎外原作の『安寿と厨子王』が演目に決まっていました。そのため、入部してすぐにオーディションを受けたんです。

そのオーディションの審査をなさっていたのが、演劇部顧問だった荻野先生でした。
部員全員が集められ、順番にセリフを言っていく。荻野先生は大変厳しい先生で、小学校とは思えないようなピリピリした空気が漂っていました。

私にとって初めての経験で、必死にセリフを読んだ。すると、幸運にも主役である「安寿」の役に選ばれたのです。

ホッとしたのも束の間、先生によるスパルタ式の稽古が始まりました。体罰こそないけれど、泣き出す子もたくさんいましたね。私も、「そんなセリフも言えないのなら、今日は帰りなさい!」とキツい言葉を浴びせられたこともありました。

でも、厳しい指導をする一方で、発表がうまくいったときは心の底から褒めてくれるのです。荻野先生自身が心から演劇を愛している方で、「舞台には、無限の可能性がある。あなたたちは、自由に世界を作り出せるのよ」と言われたことがありました。その言葉から伝わってくる情熱をひしひしと感じていたからこそ、子供ながらに演劇の面白さを肌で感じることができたんだと思います。

そして、みんなで迎えた本番の日には、ものすごい達成感に包まれたのです。中途半端な稽古をしていたなら、きっと「こんなものか」で終わっていたでしょう。将来、演劇の道に進みたいと決心したのも、この頃でした。