福島に100年続くエンターテインメントを築く【前編】---佐藤健太(NPO法人ふくしま新文化創造委員会代表理事・福島県飯舘村)

佐藤健太氏(NPO法人ふくしま新文化創造委員会代表理事)

東日本震災を越え、経済やコミュニティの復興に挑む人々。様々な社会課題を解くその姿は今、人口流出や高齢化、産業の地盤沈下などに悩む日本の他地域にも羅針盤を示すものとなっている---。

東北から起ちあがる100人」を順に紹介する連載コラム第3回は、NPO法人ふくしま新文化創造委員会代表理事、佐藤健太氏(32)の物語、前編。

春は山菜を採り、秋はキノコ。それが当たり前の日常と思っていた

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

誰しもが一度は口ずさんだことのある「ふるさと」の歌。そこに描かれたような、美しい日本の原風景のある村で、佐藤氏は育った。阿武隈山系北部に位置する、人口6200名ほどの村、飯舘。人々は持続可能性の高い自然と共にある暮らしを指向し、農業や畜産を中心とした慎ましく、しかし心豊かな生活を送っていた。

長く厳しい冬のあとに雪を割って姿を見せる愛らしい山菜類や、次第に里を染める菜の花の黄や桜の薄桃。夏の訪れとともに、どんどんと濃さを増す緑や、湿った空気の中で命の限り声を張る蝉。通り雨を喜ぶ蛙の合唱や満天の星空、祭り囃子、やがて豊かに実り穂を垂れる稲。赤や橙に色づく山に分け入り家族総出で採るキノコ。そうしてまた迎える一面の銀世界。

佐藤氏が生まれ育った福島県飯舘村

「当たり前に存在すると思っていた、そんな日常が、全然、当たり前じゃなかった」ことを、佐藤氏は高校卒業後、仙台市内の専門学校に通い出し、初めて知ったという。

春、自分らで採った蕗のとうや、たらの芽を知り合いの店に持ち込んで天ぷらにしてもらう。残った分は店主に譲り、好きに使ってもらう。実家は消波ブロックの型枠を保守管理する会社を営んでいるが、自家菜園で野菜は作っているし、近くの川や山に行けば岩魚や猪もとれる。ご近所からのおすそわけも多い土地柄で、食べるものはほとんど買ったことがない。

そんな「普通のこと」に、目を輝かせる人々がいるのを見て、家の仕事を徐々に承継する傍ら、「町の暮らしと村の暮らしを結びつけるようなことが何かできたらいいかもな」と漠然と思うようになった。そんな矢先に、あの震災が起きた。

揺れによる被害はさほどでもなかった、という。しかし、30キロ離れた浜で原子力発電所が爆発。雪に巻かれた放射性物質が風に乗り、やがて村に降り積もった。

当初、「ただちに健康被害はない」と伝えた国は、しかし、1ヵ月以上を経た4月22日、村を計画的避難地域とし、全村避難を指示した。行き先を手配し、家族同様に慈しんだ牛を手放し、飼い犬や猫を家に残し、ようやく、乳幼児のある家庭から。村民が避難を始められたのは結局、5月の半ばになってからだった。

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