【第6回】第二章 防衛費拡大で日本経済大復活(後編)---国民所得を確実にあげる
~嫌われる「安全保障」
支出削減して損をするのは誰か!~

【第5回】はこちらをご覧ください。

「政府最終消費支出」の消費者は誰か

どうも日本国民は、防衛費や公務員費用、医療費、教育費、介護費用等について「誤解」をしているようだ。すなわち「政府の消費」について「無駄」と勝手に決めつける傾向が強いのである。

とはいえ、政府の消費すなわちGDP上の「政府最終消費支出」の実際の消費者は、日本国民である。例えば、自衛隊が「防衛サービス」を供給し、日本国民が消費し、政府が国民の代わりに費用を払っている。

医療や教育、介護はさらにわかりやすい。国民が病院で医療サービスを、学校で教育サービスを(義務教育のこと)、さらに介護施設で介護サービスを消費し、費用の一部を政府が支払っているのである。

【図2-2 日本の政府最終消費支出の内訳(単位:10億円)】

出典:内閣府「国民経済計算」

図2-2は、日本政府の最終消費支出の内訳である。

「一般公共サービス」とは、いわゆる行政。「防衛」はもちろん自衛隊の維持経費。「公共の秩序・安全」は警察や消防など。「保健」が、我々が病院で医療サービスを受けた際の、医療費の政府負担分。「教育」は義務教育。「社会保護」で最も大きい支出が「老齢」すなわち介護費用の政府負担分になる。

昨今の政府消費の推移をみると、「保健」と「社会保護」のみ、一貫して増え続けているのが分かる。すなわち、高齢化社会が到来し、医療費や介護費の政府負担分支出が増えているわけだ。

当たり前だが、医療サービスや介護サービスを「消費」しているのは、実際には政府ではなく国民だ。また、行政、防衛、警察、消防といった「政府サービス」も、その消費者は一般の日本国民なのである。

日本国民は政府支出の中身も見ずに、「政府は無駄遣いをするな!」などと批判するわけだが、実際にサービスを消費しているのが「自分たち」であることを理解した方がいい。政府最終消費支出を「無駄」とばかりに一気に削減すると、単に自分たち国民の消費に対する費用負担が増えるだけの話だ。

あるいは、防衛、警察、消防といった支出を削減すると、安全保障が揺らぎ、治安が悪化し、火災発生時の対応ができなくなるなど、損をすることになるのは間違いなく日本国民なのである。

さて、防衛費を含む政府最終消費支出は、GDPの重要項目の一部である(しかも、GDP全体の5分の1を占める)。当然ながら、政府が消費支出を拡大すれば、GDPが成長する。すなわち、国民の「所得」が確実に増えるのだ。

GDPや所得について正しい理解をしていないと、

「防衛費という軍事支出は国民経済に負の影響しか与えない。削減するべき」

といった、意味不明、論拠不明な言説が蔓延(はびこ)る。実際、戦後の日本においては、軍事支出について「国民を貧乏にする」といった論調で批判するケースが、少なくなかったのである。

たとえば、1960年に発刊された『世界』の2月号には、以下の記事が掲載されていた。

〈 一般的にいって、軍需品は不生産的な生産物である。食料品や衣料品はわれわれの生活を支え、労働のエネルギーを生み出してくれる。機械や石油は工場で使えば、物を生産する。ところがジェット戦闘機は飛ばせば燃料を消費するだけであり、大砲は使えば砲弾が消費されるだけである。それらは何も作り出しはしない。

だから国民経済のなかで軍需品を作り、これを消費すればするだけ、国民経済の成長には役に立たない浪費をすることになるわけである。こういう浪費の額が大きければ大きい程、国民は貧乏する。 〉(『世界』1960年2月号「ふたたび安保改定について-第2回研究報告」)

軍需品について「不生産的な生産物」と断じているわけだが、そもそも筆者には「不生産的」の定義がよく分からない。何しろ、燃料を消費するジェット戦闘機は、我々日本国民に「安全保障」というサービスを提供しているのだ。安全保障が確立していない国家において、国民が平和に、安全に、快適に暮らし、安心してビジネスを展開できるなどということは、現実にはあり得ない。

さらに、ジェット戦闘機のパイロットや整備員などの自衛官には、「政府消費支出」として給与が支払われ、彼らの所得が生み出される。所得を稼いだ自衛官が、自らの消費や投資のためにお金を使えば、別の国民の所得が生み出される。

『世界』の語り口を借りるならば、

「われわれの生活を支え、労働のエネルギーを生み出す」

のは、別に食料品や衣料品、機械や石油、工場といった「形あるモノ」に限った話ではないのだ。自衛官が提供する「安全保障サービス」もまた、立派に日本国民の生活を支え、労働のエネルギー(これも定義不明な言葉だが)を生み出しているのである。モノにしても、サービスにしても、それらを消費した「消費者」は便益を受けているわけであり、どちらが上で、どちらが下といった話にはならない。

警察や消防が提供する「警察サービス」や「消防サービス」について、

「浪費である。不要だ」

などと主張する人は、まず存在しない。ところが不思議なことに、なぜか自衛官が提供する「安全保障サービス」に対する支出、すなわち防衛費については、「浪費だ!」と目くじら立てて批判する人が少なくないのである。

一応、書いておくが、防衛費や軍需品をむやみやたらと拡大すると、国民経済に負の影響を与える時期は、確かに存在する。すなわち、国内の需要が供給能力を大幅に上回っている高インフレ期だ。

インフレ率が高いということは、国民の需要を自国の供給能力では満たしきれていないという話になる。「その時点の供給能力」は有限であるため、需要が膨れ上がっている時期に、さらに軍事支出を増やそうとすると、インフレ率がますます上昇してしまう。供給能力という「リソース(モノ、ヒト、カネのこと)」の投入が軍需に偏ると、民生品の生産や民間サービスの供給が縮小する。結果的に、国民は「欲しいものが手に入らない」「欲しいサービスが買えない」という事態に至るわけだ。

要するに、大東亜戦争末期の日本国の状況であるが、『世界』の論者の頭の中は、戦争終結から15年が経過しようとしていたにもかかわらず、未だに戦中もしくは終戦直後のインフレ期のままだったのだろう。いずれにせよ、「不生産的な生産物」といった定義不明な用語を使い、印象操作を図ろうとする姿勢は頂けない。

現実には、政府が軍事支出を増やせば、否応なしにGDPは成長する。すなわち、国民の所得が増えるのだ。理由は、繰り返しになるが、現在の日本の場合は「防衛費」が政府最終消費支出の一部であり、政府最終消費支出はGDPの一部であるためである。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら