野球
二宮清純「蔦文也、合理主義の指揮官」

イレブン旋風の真相

「やまびこ打線」で一世を風靡した徳島・池田高校が22年ぶりに甲子園に戻ってきました。過去、春夏合わせて甲子園に16回出場し、優勝3回(春2回、夏1回)準優勝2回(春夏各1回)。監督はすべて蔦文也(故人)さんです。

 池田の校名が全国に響き渡ったのは1974年センバツでの準優勝。わずか11人の選手ながら、あれよあれよという間に勝ち進み、その戦いぶりは“イレブン旋風”と称えられました。

 しかし、このチーム、最初から11人しか選手がいなかったわけではありません。蔦さんの厳しい指導に耐えられず、気が付いたら11人になっていたというのです。

 蔦さんは私に言いました。
「皆、“さわやかイレブン”と言って褒めてくれるんじゃが、マスコミは美化し過ぎじゃのぉ。厳しくやり過ぎたもんじゃから、多くの者が途中でやめていったんじゃよ」

 選手たちは蔦さんのことを「ブン」と呼んでいました。文也のブンです。決して聖人君子と呼べる人物ではありませんでしたが、人間臭さにあふれていました。何よりも野球が大好きで、勝負の鬼でした。プロ(元東急フライヤーズ)の経験者だけあって、野球に対する考え方は実に合理的でした。

 それは高校野球で金属バットを使用するようになってから、その利をいかすために打撃中心のチームをつくったことでも明らかです。その意味で蔦さんとはプラグマティスト(実用主義者)でした。

 ちなみに74年のセンバツ準優勝時はエース山本智久さんを中心にする守りのチームでした。トップバッターの雲本博さんは1回戦でホームスチールを成功させました。相手のちょっとしたスキにつけ込む油断ならないチーム――それが池田だったのです。