救い出した酵母「白冨士」を携え、次の酒は新天地アメリカで仕込む---冨沢真理(冨沢酒造店/福島・双葉町)

あの震災から丸3年---。瓦礫の山は9割がた片付き、市町村ごとの土地利用計画や復興公営住宅の目途も一定程度は立った。主力産業の水産加工も約8割が当座の設備を工面し、操業を再開している。

しかし一方では、今も約10万人が仮設住宅での生活を余議なくされ、震災関連死、関連倒産も続いている。折角、再開した水産加工も売り上げ自体はいまだ震災前の10余%までしか戻っていない。震災関連倒産は被災県に留まらず、8割は取引先の減少や風評被害による間接型の倒産で、その数は日本全国に散っている。

ハード面の「復旧」は姿かたちを見せつつあるものの、コミュニティの連帯や経済の回復といったソフト面までも含めた「復興」は、まだはるか遠い。そんな東北各域に、しかし、確かな再生のモデルを見せはじめた人たちがいる。

彼・彼女らの気迫と破天荒さに満ちた姿勢や切実な課題認識に基づく工夫に富んだ手法は、今はまだ小さな萌芽を見せるに過ぎないが、いずれ木となり、その集積は森となって、「新しい東北」を築くだろう。しかもそれは被災地の復興の基盤となるに留まらず、過疎や経済の地盤沈下に悩む日本各域の多くの人の範にもなると筆者は強く信じている。

本連載では、そんな「東北から起ちあがる100人」を、1人ずつ順に紹介する。第1回は、福島県・双葉町出身の「冨沢酒造店」営業・企画担当、冨沢真理氏(30)から。

冨沢真理氏(冨沢酒造店営業・企画)
最右が真理氏。左から二番目が父・周平氏

目覚めると、酵母の香りがした

「本来、日本酒というのは、その土地の自然、空気、気候、温度があり、その土地で採れたコメ、水を使い、その土地の人の手で仕込むもの。それが本当の地元の酒というものだ」

真理氏の父で、冨沢酒造店(以下、冨沢酒造)20代目当主の周平氏は頑固一徹、今も、その信念を強く持っている。300年の歴史を誇る造り酒屋。原料米は町の契約農家が持ち込み、そのまま蔵人としても働く。先祖伝来の土地を離れたものづくりをしたことは一度もない。

その周平氏が一転、一家全員で移住し、「米国ワシントン州シアトルでの日本酒づくりに取り組む」ことを決めた。丁寧な手作業で、わずか数十石程度の酒づくりをしてきた。そのスタイルは変えぬまま、いきなりグローバルに打って出る。

周平氏の背中を押したのが娘の真理氏、そして兄で21代目当主の守氏だった。一家は、「2015年のクリスマスは、シアトルで仕込んだ酒で乾杯する」(真理氏)ことを目指しているという。それにしても、なぜアメリカなのか。

双葉町と聞いてピンと来た方も多いと思うが、冨沢酒造の社屋や蔵は、事故のあった福島第一原発から、わずか3.5キロの距離に立地し、現在も帰還困難区域に指定されている。地震発生当時は大吟醸の瓶詰めの作業中。「酒は我が子と同じ」とする周平氏は酒瓶を守り、割れたガラスが利き手を貫通、神経を痛める大怪我を負った。

翌12日、一家は様子見に来た自衛隊員から突然、「なぜまだ残っているのか。あと40分で町を閉鎖する」と言われ、着の身着のままで町外へ。そして14日にいわきの親戚宅の身を寄せてはじめて爆発事故が起きたこと、おそらく、すぐには戻れないことを知る。

「なぜ自分は蔵を置いて逃げてしまったのか。300年続いた酒造りを一瞬にして無いものにしてしまった。ご先祖さまに申し訳が立たない」

状況を把握すると、まるで廃人のようになり、寝込んでしまったという周平氏を前に、真理氏が決心したのは自家の清酒酵母「白冨士」を取り戻すこと。酒造りの歴史的価値を説き、国や自治体に理解を求め、6月。決死の覚悟で蔵に戻り、冷凍庫に保管していた純粋培養の白冨士123本を取り出した。

「戻れないと最初から知っていたら、どちらにせよ私は蔵と心中していたと思うから」と、真理氏に迷いはなかった。

Googleのデジタルアーカイブプロジェクトにより、冨沢酒造店はその姿を半永久的にネット上に残すこととなった(URLはこちら

避難先に戻り、持ち帰った酵母は、そっと父の枕もとに置いた。「目覚めると、酵母の匂いがした」と、父の周平氏は子どもらの命がけの行動に男泣きしたという。

早速、検査にかけると、冷蔵庫が電源喪失していた影響から過半の酵母が死滅してしまっていた中、奇跡的に1本だけが無事。その後、会津若松の大手酒造メーカー「花春酒造」の好意により、設備の一部を借りてその年のうちに酒を仕込むに至った。放射能の影響を懸念し、造りの過程で幾度もの検査を繰り返したが、全く問題のないこともわかった。

できあがった酒の名は「白冨士 活(かつ)」。かたやコンピューター制御の大量生産、かたやほとんどが手作業の少量生産。しかも、双葉の水は硬水、会津は軟水。これまでとは全く違う酒に仕上がったが、自ら杜氏として無我夢中に腕を振るうなかで周平氏に笑顔や活力が戻っていった。

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