第七十三回 アンネと難解な本の関係

2014年03月23日(日) 魚住 昭
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トッドの理論は、長い年月をかけて作られた家族制度が人々の無意識の価値観を形作るという考えに基づいていた。彼は西欧の主な家族制度を4つの型に分類しているが、煩雑を避けるため2つの対照的な型だけをご紹介する。

〔平等主義核家族=北フランス、南北イタリアなど〕子が結婚すると親の家を離れて独立するので父と子の関係は自由主義的だ。また遺産相続で兄弟の平等を厳密に守ろうとするので兄弟関係は平等主義的になる。この家族システムが育む価値観は自由と平等。人々には人間は生まれながらに平等だと信じる傾向がある。自由と平等を掲げるフランス大革命がパリ盆地で起こったのはこのためだ。

〔直系家族=ドイツなど〕子のうち1人(年長の男子が多い)だけを跡取りとして結婚後も親の家に同居させ、遺産を相続させる。他の子は遺産相続から排除され、やがて家を出なければならぬ。そのため父と子の関係は権威主義的で兄弟関係は不平等主義的だ。この家族システムが育むのは権威と不平等。人々は、人間は互いに平等ではなく、「差異」があると信じる価値観をすりこまれる。

トッドの分析のキーワードはこの「差異」という言葉だ。トッドは、ドイツ型家族システムは「差異を作り出すけれども、差異を好みません。このシステムの中には一種根本的な矛盾が存在するのです」と述べている。根本的な矛盾とはどういうことか?

「兄弟間の差異化は無意識に対して、人間は互いに異なるものであり、分離されていなければならないと告げる。しかし父親の権威は無意識に対して、人間は何らかの中心的権力に従わねばならず、それゆえひとつにまとまっていなければならないという観念を押しつける。この根本的な矛盾が生み出す緊張は時として(中略)排除ないし絶滅の差異主義(を生む)」

つまりドイツの家族システムが育んだ無意識は自ら作り出した差異に耐えきれなくなり、時にその対象を排除・抹殺しようという衝動に駆られるというのである。

トッドは、ナチスのユダヤ人絶滅の企てが可能になった背景として19世紀ドイツで盛んになった権威主義的教育イデオロギー(身体的規律と剛直の強調。スパルタ教育)により家族内の権威がヒステリー的に高まったことなども挙げる。それらの根本にあるのもまた、矛盾と緊張をはらむドイツの直系家族システムだ。

ここまで来れば読者諸兄はもうお気づきだろう。そう、日本の伝統的な家族システムもドイツと同じ直系家族である。父親の権威は絶大で、家督を相続できるのは長男だけだった。

トッドの立論が正しければ、自ら差異を作り出しながら、差異を憎むという矛盾と緊張をはらんだ無意識が、私を含めた日本人に根強く残っていることになる。その典型的な現れが、ある特定の出身地に「差異」を見出し、人間以下に貶める部落差別だろう。

ネトウヨらの言動もそっくり同じ構造だ。彼らはあるはずのない「在日特権」を自らの手で作り出し、それを激しく攻撃する。自分らを批判する人を「在日認定」してネット上で血祭りにあげる。

しかし、日本人共通の無意識がヘイトスピーチを生み『アンネの日記』を破らせたとするなら、これは厄介な話である。ネトウヨを撃つには自らの無意識と向き合わねばならぬ。無意識を克服する方法なんてあるだろうか。

重苦しい気持ちを抱えながら日曜の午後、JR荻窪駅そばの杉並区立中央図書館に行ってみた。私が通い慣れたこの図書館では2月初めに『アンネの日記』関連の20冊が破られたという。

被害の拡大を防ぐため閲覧制限が行われているだろうと予想しながら中に入ったら、あにはからんや、受付カウンターの真ん前の移動式書架に被害を免れた関連本22冊が集められ、すぐ借り出せるようになっていた。

なるほどいいアイデアだ。これなら係員の目があるから誰も破れない。事件を聞いて読みたくなった人がいちいち館内を探し回る必要もない。本を読む自由を守るための工夫である。知恵を絞ればピンチをチャンスに変えられる。無意識の憎悪を乗り越える方法もきっとある。それを忘れるなと教えられたような気がした。

『週刊現代』2014年3月22日号より

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