第71回 チャップリン(その四)贅沢はしなかった。財産の額を語らず死んだ、「劇的」な幕切れ---

チャップリンの晩年は、必ずしも幸せなものではなかった。

第一に、アメリカに残してきた財産―その額をチャップリンは、死ぬまで語らなかったというが―を何とかして持ち出さなければならなかった。
そのためには、パートナーであるウーナ・オニール―ユージン・オニールの娘―に頼んで、カリフォルニアの貸金庫から全財産を回収して貰わなければならなかったのである。
この金庫に、どれほどの金銭、あるいは債券や宝飾品が預けられていたのか測りしれないが、常識的に考えれば、チャップリンの地位と名声にふさわしいだけの額だったろうことは、疑いの余地はあるまい。

とはいえ、チャップリンは、贅沢をさほど好んではいなかった。
盟友であったバスター・キートンは、ビバリー・ヒルズに『イタリアン・ヴィラ』と称する大邸宅を構えていた。
『イタリアン・ヴィラ』は、名作『ゴッドファーザー』のロケ現場になっている。

映画の冒頭、結婚式の場面。フランク・シナトラがモデルとなっているイタリア系の歌手が、ゴッドファーザーに、自分をある映画の主演男優にして欲しいと泣きつく。
マーロン・ブランド扮するゴッドファーザーは、弁護士を派遣して、キャスティングを変更させようとするが、プロデューサーは、拒否する。そのため、プロデューサーを脅すために、高額な駿馬の首を斬る・・・・・・。

誰もが識る、戦慄のシーンだが、この場面は先述のように、キートンの邸宅で撮影されたのである。

チャップリンは、漸く安定した老後を手に入れる事が出来た。
一九七一年には、カンヌ映画祭で、チャップリンの全作品にたいする特別賞が贈られると共に、レジオン・ドヌール勲章の上級勲爵士の称号が授けられた。
そしてついにアメリカも、遅ればせながら、チャップリンに敬意を表した。
彼をアメリカから追い払った法令は、すでに忘却されており、当然受けるべき栄誉を受けた。

一九七二年四月二日、チャップリンは、ニューヨークを訪れた。
チャップリンは、機嫌よく投げキスをしながら、飛行機のタラップを降りていった。
リムジンでプラザ・ホテルにむかった一行は、アメリカきっての大富豪、グロリア・ヴァンダービルト主催の歓迎パーティに臨んだ。