現代生活に本当の緊張感はない!? 日本に来た娘の"ケータイなし"生活から気づいたこと
〔PHOTO〕gettyimages

ケータイなしでも何の問題もない

今、三女が日本に来ているのだが、日本で使うためにドイツで注文し、日本の住所に送られてきたスマホのSIMカードが機能しない。

設定は間違いがないが、どうしてもうまくいかず、テレフォンショップで見てもらってもダメだし、サポートの電話に掛けると、なぜか案内メッセージの後にプツリと切れる。しかも、サポートの時間帯が9時から11時の間だけというから、なんとなく「騙された」っぽい感じはするが、仕方がない。

そこで娘は、ケータイなしで日本での20日間を過ごすと宣言した。彼女は、日本語は"読めず、書けず、ほとんど喋れず"なので、東京ではどのみち手探りで歩いているようなものだが、それ以後、何も無い状態に関しては結構快適らしく、一人で毎日出歩いている。

娘がケータイを持っていないという状態は、気づいてみると、私にとっても新境地であった。つまり、「いって来まーす!」と出かけて行ったが最後、彼女が公衆電話から電話をしてこない限り、一切連絡が取れないという状況なのだ。そして、公衆電話から電話が掛かってくるようなことは、彼女の場合、絶対にない。

考えてみれば、昔は誰もがそういう状況で暮らしていたはずなのに、そんなことは思い出せず、まるで初めての体験のように感じる。「あ、あれを言っておくんだった」と思ってももう遅いし、「ちゃんと辿り着いたかな?」と思っても、確かめる術がない。帰りに何か買って来てほしくてもダメ。そもそも、いつ帰ってくるのかもわからない。何だかとても変な感じだ。

その変な感じは、娘と待ち合わせをしたときにも味わった。夕方6時に銀座三越のライオンの前。ちゃんと見つけられるだろうか? ケータイを持っていたなら、おそらく「今どこ? 間に合う? ママは5分ぐらい前に行ってるから、遅れないでね」などと言っていたはずだ。

ところが今は、娘は朝、家を出たきり。その後、どこでどうしているものやら。そこで再び思う。「昔はいつもこうだったんだ」と。そして、娘がちゃんと5分前にライオンのところに現れて初めて、ああ、ケータイなしでも何の問題もないのだと気付く。今、私たちはケータイのせいで、必要のない会話やメールばかりを、大量に交換しているようだ。

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