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『絶望の裁判所』著:瀬木比呂志---『絶望の裁判所』の裏側

『絶望の裁判所』の著者、瀬木比呂志氏のインタビューはこちら

絶望の裁判所』著:瀬木比呂志
価格:760円(税別)
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講談社現代新書『絶望の裁判所』は、日本の司法制度、裁判所・裁判官制度、そして現実の裁判のあり方を、社会・人文科学の方法を適宜援用しながら、徹底的、包括的に、また多面的、重層的に分析、批判した書物であるが、そこには記さなかった裁判官の生態、その一面について書いてみたい。

ごく簡単にいえば、裁判官は、「俗世間の人間たち」の一員であり、書物にも記したとおり、「俗物」の表現が当てはまるような人々も多い。いわゆる最高裁判所事務総局系の司法行政エリートと呼ばれる人々は、大半がそうである。

そういう人物が裁判長を務める裁判部における日常的な話題の最たるものは人事であり、「自分の人事ならいざ知らず、明けても暮れても、よくも飽きないで、裁判所トップを始めとする他人の人事について、うわさ話や予想ばかりしていられるものだ」と、そうした空気になじめない陪席裁判官から愚痴を聞いた経験は何回もある。『司法大観』という名称の、七、八年に一度くらい出る、裁判官や検察官の写真に添えて正確かつ詳細なその職歴を記した書物が彼らのバイブルであり、私は、それを眺めるのが何よりの趣味だという裁判官にさえ会ったことがある。

しかし、そうした俗臭芬々の裁判官たちの間にさえ、裁判所の現状に疲れ、見切りを付けて退官し、弁護士等に転身する人々がかなり出るようになっているのが、近年の裁判所の状況なのである。

前記のとおり、裁判所が、一般世間と隔絶した孤高の王国であるとみるのは、明らかな誤りである。確かに、その王国は、世間とは切れており、人々の思いや希望などは何とも思っていないが、そのシステム自体は、戦前から引き継がれたきわめて日本的な官僚支配、統制のヒエラルキーであり、制度の物神化、表と裏の二重基準(ダブル・スタンダード)、二枚舌を特質としている。

あとがきの末尾にも記したとおり、日本の裁判官組織は、法律専門家エリートの閉ざされた官僚集団であるために、私たちの社会の組織、集団等の問題、バブル経済崩壊以降のその行き詰まり、停滞、退廃、荒廃が集約、凝縮されて現れ、社会病理学、精神病理学的な様相を呈しているのではないかというのが、私の仮説である。その意味で、本書で私が提起した問題には、一定の普遍性があるのではないかと考えている。