[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
寺川綾(元競泳選手)<後編>「五輪に“魔物”はいなかった」

二宮: 寺川さんが五輪に初めて出場したのは、2004年のアテネ大会。200メートル背泳ぎでは、ファイナルに進出し、8位入賞を果たしました。当時のことは、あまり覚えていないそうですね。
寺川: そうなんです。スタート前に手足が震えていたことも、200メートルをどう泳いで、どうやってゴールしたのかも、まったく覚えていないんです。人生の中で一番緊張していたかもしれないですね。

二宮: 数多くの大舞台を経験されていますが、記憶がないというのは、あまりないでしょう?
寺川: はい。「五輪には魔物がいる」という話もずっと聞いていたので、アテネが終わった後、「あぁこういうことか」と思いました。でも、今思うと、「魔物」のせいではなかった気がしますね。

二宮: というのは?
寺川: 実際、ロンドン五輪の時は一切感じませんでしたから。結局は、気持ちの持ち方なんだと思います。でも、アテネの時は、負けた言いわけがそれしかなかったのかなと。

: アテネでの悔しさが、その後のモチベーションになっていたと思いますが、北京五輪は出場すらかないませんでした。そこで寺川さんが諦めなかったのは、どのような思いからだったのでしょう?
寺川: 実は北京五輪の代表選考会の時には自己ベストを出していたんです。それでも3位で、五輪に行けず、すごく悔しい気持ちがありました。

二宮: 北京五輪のレースを見ることはできましたか?
寺川: 所属先のミズノの方には「北京に行って、会場でしっかりと見て来い」と言われたのですが、さすがに行く勇気はありませんでした。五輪が始まる前までは、テレビでさえも見たくない、応援したくないと思っていたんです。でも、いざ競泳が始まる時間になったら、テレビの前に行って、見ていましたね。やはり水泳と自分との関係や、自分が五輪を目指す気持ちは、まだ続いているんだなと感じました。

二宮: レースを見て、どんな気持ちになったのでしょう?
寺川: 100%の気持ちでは応援できませんでした。

二宮: “何で私はここにいないんだろう?”と?
寺川: そうです。たとえ日本代表を争ったライバルでも、“五輪に出ている仲間だから応援しなくては”と考えるのですが、どうしても“自分が出たかった”という気持ちが強くて……。もし、100%応援できていたら、そこでやめていたと思います。でも“もう1回、あそこで戦いたい”と思ったのが、正直な気持ちでした。だから、ロンドンに向けて出来る限りのことをやろうと決めたんです。