岸見一郎×古賀史健【第2回】自ら「幸せになる勇気」さえ持てれば、人はいま、この瞬間にでも幸せになれる

『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』

毒にも薬にもなる心理学

古賀: この『嫌われる勇気』に書かれているアドラーの思想は、ベースの部分に岸見先生のギリシア哲学が加味されているため、おそらく他のアドラー研究者たちが唱えていることと少し違うこともあったりする。ある意味、岸見先生独自の学問でもあると思うんですね。

岸見: そうかもしれません。

古賀: 研究者の中には教条主義的に「アドラーはそんなこといってない!」と異議を唱える方もいるかもしれませんが、自分の解釈で新しい思想を形成していってもいいと思うんですね。自分なりに受け入れられるところを受け入れて、自分なりのアドラー心理学を構築していくことが大切ではないかと。受け入れられない話もあるかもしれないけどもそれは、10年掛かってもいいし、受け入れなくてもいいわけで。

岸見: そうですね。速習、速成は期待しないほうがいいです。僕も四半世紀研究していますから(笑)。アドラー心理学を理解し、実践できるようになるには「それまで生きてきた年数の半分の時間がかかる」とさえいわれているほどです。逆に「本を読んですぐ理解した」という人は、注意が必要でしょう。わかりやすく書かれた面もありますが、そんなに簡単に習得できるものではないですから。

古賀: 僕も、まだまだ完全に実践できているわけではありません。

岸見: たとえば、アメリカンフットボールは素人が見てもよくわからないほど複雑なルールを持っています。一方、テニスのルールは子どもが見てもすぐわかる。そして実際にラケットを持ってみても、球を打ち返すくらいならすぐできる。しかし、ウィンブルドンにまでは行けないですよね。そういう「見た目の易しさ」と「極める難しさ」があるように思います。これはアドラー心理学に限らず、物事とは長く継続していった結果、ふと「知らないうちにずいぶん遠いところまできたなあ」と思える地点に到達することができるものではないでしょうか。

古賀: そういう意味でもアドラー心理学は、使い方や解釈の仕方を一歩間違えると危険な面もあると思います。