第69回 チャップリン(その二)ちょび髭にステッキ、ドタ靴の貧乏紳士。悩み抜いた扮装が大当たりした

チャーリー・チャップリンは、一九一三年十二月、マック・セネットからロサンゼルスに招かれた。後に喜劇映画の製作者として活躍するセネットは以前から、チャップリンに御執心だった。

ニューヨークで、二度ほどチャップリンの舞台を見て、完全に魅了されていた。
その当時、セネットは、一日五ドルでエキストラとして働いている身だった。
アメリカ映画の始祖である、D・W・グリフィスの現場で働いていたが、彼は、いずれ自分がチャップリンと契約する事を疑う事はなかったと云う。

邂逅は不思議なものだった。

「セネットさんは、わたしがあまりにも若いのに、すっかりびっくりしたらしかった。『もっとずっと年寄りだとばかり思ってたんだが』と言ったが、そのときほんのかすかではあるが、彼の顔にチラと不安の影がさしたのを、わたしは見のがさなかった。(中略)とりあえず、『なに、老役つくりなら、どんなにでもできますから』と答えておいた」(『チャップリン自伝』中野好夫訳)

セネットは、初期においては、さほどチャップリンを買っているそぶりを見せなかったという。

チャップリンは、一つの芸を身につけるのにも、かなり時間がかかり、けして呑み込みのよい役者でなかった。
どんな衣装が、あるいは動きが、自分に合うのか、辛抱強く、試行錯誤を繰り返していたのである。
そして、チャップリンは「自分」を造型することに成功したのだ。

ちょび髭に、ドタ靴、竹のステッキを抱えた貧乏紳士・・・・・・。
きっかけは、セネットの言葉だったという。
何でもいいから、コメディアンらしい扮装をして来い・・・・・・。
チャップリンは、途方に暮れたという。

仕方なく衣装部屋に入っていったが、よい智恵はでない。
かわるがわる衣装を身につけては、脱いだりしている間に、思いついた事があった。
ダブダブのズボンに、窮屈なチョッキと擦り切れた帽子・・・・・・。
悩んだのは、老けた人物にするか、若者にするか、という選択だった。

この件は、かなり難しい選択だったが、結局解決した。
口髭を付ける事にしたのである。
一つの口髭で、若者にも見えれば、老人にも見える。
しかも衣装はいつも一張羅だから、出費も少なくて済む。

一九一五年、チャップリンは『失恋』で大当たりをとった。
その人気によって、アメリカは当然として、ヨーロッパからも、チャップリンの知遇を求めて、名士たちがハリウッドにやってきた。