我々は常にナンバーワンを目指す---ドバイを"世界の中心"に変えたDPワールド会長スルタン・ビン・スレイヤムの戦略
文/モーニング編集部
NHK取材班の取材に答えるスレイヤム氏。趣味は乗馬で、国内外の耐久乗馬レースに参加している。
年間1000万人以上の観光客が訪れる観光大国ドバイ。十数年前までは、ほとんどの人々が電気も水道もない環境で暮らしていた貧しい港町ドバイを"世界の中心"と呼ばれるまでに成長させた人物がいる。その人物とは、3万人の従業員を抱える港湾会社DPワールド会長スルタン・ビン・スレイヤム氏(58歳)。今回の『島耕作のアジア立志伝』は、数十年先を見据えて投資をおこない、成功をおさめているスレイヤム氏の戦略を、取材にあたったNHK取材班への聞き取りをもとに紹介する。

「世界の注目を引き付けるには何かが足りない」

ドバイには「世界一」のプロジェクトがあふれている。

78kmもの長さのビーチに沿って2000戸の高級別荘が建ち並ぶ人工島「パーム・ジュメイラ」は、マイクロソフト元会長のビル・ゲイツやサッカー界のスーパースターであるデビット・ベッカムらが購入者として名をつらね、脚光を浴びている。高層ビル「ブルジュ・ハリファ」は828mと世界一の高さを誇る。外気温50℃にもなるドバイでスキーを楽しめる「スキー・ドバイ」は世界一の規模の屋内スキー場だ。

ドバイの繁栄の礎を作ったのは、DPワールド会長であるスルタン・ビン・スレイヤム氏。世界中から巨額の投資を呼び込み、その資金を使って海外へ莫大な投資をおこなっている。スレイヤム氏の経営哲学の根本にあるのは、日本がおかしたバルブ期の失敗だったという---。

「私は東アジアの経済危機から多くのことを学びました。とくに日本のバブル期の全盛期から崩壊にいたるまでの過程をリアルタイムで見続けたことは、ドバイという首長国の未来を考える上で非常に参考になりました」(スレイヤム氏)

1982年、アメリカ留学を終えてドバイに戻ってきたスレイヤム氏は、完成したばかりの港で税関の仕事に就いた。その港は、石油に頼らない経済を確立しようと作られた大規模なものだったが、利用する船はほとんどいなかった。

「世界の注目を引き付けるには何かが足りない」---。

夜な夜な事務所に残って打開策を探すスレイヤム氏。そんなある日、運命的な資料を発見した。<経済特区>と書かれたその資料にスレイヤム氏は一筋の光明を見たような気がした。世界中の企業を呼び込むことができれば、ドバイ全体を活性化することができる。すぐに視察の旅に出た。

「参考にしたのが中国、香港、シンガポールなどの国々です。とくに、シンガポールが進めていた箱モノ産業(あらかじめ倉庫などを作っておいて参入企業に貸し出すやり方)をモデルに独自の経済特区プランを練り上げていきました」(スレイヤム氏)

‘80年代、スレイヤム氏が企業誘致に訪れた日本は、空前のバブル景気に沸いていた。そこでスレイヤム氏は厳しい現実にさらされる。中東で起こっていたイラン・イラク戦争を嫌気し日本企業の多くは「紛争地に進出することはできない」と、スレイヤム氏の提案に首を横に振った。惨敗に終わった誘致活動だったが、スレイヤム氏は日本への訪問で逆に自信を深めることになった。

「それまで、世界経済はヨーロッパに支配され続けるものと思っていました。しかし、日本の発展と東アジアの台頭を見て、『我々も成功できる』という思いを強くしたのです。

東アジアの次はインド、アフリカが台頭するはず。ドバイはヨーロッパとアジアの間にあり、なおかつインドやアフリカの市場にも手が届く所に位置しているとアピールしていったのです」(スレイヤム氏)

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