岸見一郎×古賀史健【第1回】今こそ求められる「承認」ではなく「貢献」によって自分の価値を実感する勇気

『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』

古賀: いろんなタイトル案が出ましたが、アドラー心理学の鍵となる「勇気」という言葉だけは、どうしても使いたかった。そこで最終的に行き着いたのが『嫌われる勇気』でした。ただ、キャッチーな言葉だけに、タイトルだけが一人歩きしてしまう危険性は感じませんでしたか?

岸見: たしかにタイトルを見ただけで、いろいろな感情を持つ方がいるでしょう。拒絶反応を示す方もいれば、「アドラー心理学の本質からズレている」と思われる方もいるかもしれません。でも、それでいいのではないかと思っています。タイトルを見た瞬間から「手にした人との対話が始まる」。そこが面白いのではないかと。

古賀: タイトルをつけるわれわれにも「嫌われる勇気」が試されるわけですね(笑)。

岸見: そうかもしれません(笑)。

「承認されるかどうか」ではなくて、「貢献できるかどうか」という意識

古賀: 先生はいま、他者から嫌われること、また他者からどう評価されるか、といった悩みから自由になっていますか?

岸見: 私の名刺には肩書きがありません。つまり、どこにも所属していないんですね。誰かと競争する必要がないところにいるのは、幸せなことだと思っています。もちろん、積極的に嫌われたいとは思いません。しかし、相手が私のことを嫌うのか嫌わないのかは、相手が決めることであって、私が介入できることではない。むしろ、私が嫌われているのだとしたら、それだけ積極的な関わりがあり、それだけの影響力を持てたともいえるのだと思えるようになりました。そう思えるまでには時間がかかりましたが。

古賀: 難しいですよね。僕もまだその意識が抜け切れていないのですが、世の中は「他者からの評価によって自分の価値を実感する」という人がほとんどだと思います。周りからほめられて、「自分は間違ってなかった」とか「がんばってよかった」「自分はこのままでいいんだ」と実感する。そういった他者からの評価を抜きに、自分ひとりで自分の価値を実感することはなかなか難しいと思うんです。

岸見: いわゆる承認欲求ですね。子どもの頃から賞罰教育に慣れてしまっている人は、ほめられないと気がすまないことが多くなります。誰かから承認されないと、自分の価値を実感できないわけです。たとえば、Facebookで「いいね!」ボタンを押してもらうために、いい子を演じたり、本心を偽ったりする。たとえそうすることで「いいね!」ボタンを押してもらえたとしても、それは不自由な生き方なのです。

古賀: Facebookの「いいね!」ボタンはわかりやすい例ですね。たしかに押してほしいし、誰も押してくれないと寂しくなります。