岸見一郎×古賀史健【第1回】今こそ求められる「承認」ではなく「貢献」によって自分の価値を実感する勇気

『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』

---直接岸見先生にお会いしたのは、いつごろですか?

古賀: 2010年です。大手新聞社の取材で無理やり押しかけて「ずっとファンだった」という話をして……。あのとき、岸見先生は僕にどんな印象を持たれましたか?

岸見: いま考えると失礼だったのですが、いきなり「この本を読んでくださったんですよね?」と尋ねたんです。すると「1999年の初版から読んでいた」という答えが返ってきて卒倒してしまいました(笑)。それまでにも取材を受けることは度々あったのですが、みなさん本を読んでいなくて的外れな質問をされることが多かったんですね。でも、古賀さんは非常に勉強なさっていたことがすぐに分かったので「この人なら信頼できる。もう、この人しかいない」と。恋愛でいう「一目惚れ」のような感じでした。話も非常に盛り上がりましたね。

古賀: 取材は1時間の予定だったんですが、4時間くらいお話してしまいました。それで、この取材だけでは足りないからと本のご相談をして、10年越しに企画が実現することになったというわけです。

「この空間を世界中に届けたい」という熱い思い

---『嫌われる勇気』は、哲人と青年による対話篇という、かなり特殊なスタイルで執筆されています。このアイデアはどこから?

古賀: 当初は普通の本のように、岸見先生の一人称で書いていくことを前提に取材を進めていました。でも、その問答があまりに刺激的でおもしろかったので、先生と僕が語り合っている「いま、ここ」をそのまま再現するような対話篇にしたほうがいいんじゃないかと思ったんです。

岸見: 現代の読者にとっては新鮮に映るかもしれませんが、対話篇というスタイルはプラトン以来、古代ギリシアの哲学者たちがずっと試みてきたことなんです。プラトンの膨大な著作のほとんどは、ソクラテスとその弟子たちの対話篇となっています。つまり、哲学の世界における対話篇は、非常に古典的な形式なんですね。

読者にとっても、一人称の本だと直接著者に質問をぶつけることはできない。場合によっては疑問が残ったままになってしまう。その限界を突破するためにも、対話篇にするしかないだろう、ということになりました。読者に成り代わって「青年」が質問をくり返す、この形式に。

---まさに、本書の中にある「哲人」と「青年」の対話が繰り広げられていたわけですね。