東京大空襲時の若き消防隊員たちを初めて描くNス特集ドラマ『東京が戦場になった日』
NHKスペシャルHPより

戦争の悲劇はエリートたちのものだけではない

私事で恐縮だが、筆者の祖父は日中事変(1937年)のときに初めて召集令状(赤紙)が届き、計3回戦地に趣いた。やっと生還したかと思うと、また赤紙が届いた。女性ばかりの家族を5人抱えていたこともあり、辟易したという。農家の次男で尋常小学校しか出ていなかったため、徴兵しやすかったようだ。「農家」で「長男以外」、そして「小学校卒」は、国から早々と呼び出され、その多くが亡くなっていった。

半面、43年の学徒出陣までは、大学など高等教育機関に在籍する20歳以上の学生は徴兵が猶予されていた。学徒出陣により、学問に勤しんでいた人までが戦地に赴くことになったため、その悲劇はテレビのニュースやドキュメンタリーで描き続けられている。ドラマも日本民間放送連盟優秀賞を得た『桜散る日に-出陣学徒の交響曲「第九」歓喜の歌』(96年、TBS)など、いくつもある。

学徒出陣は確かに悲劇だ。が、テレビの扱いには偏重があると言わざるを得ない。戦前の大学進学率は1%以下。出征した人の大半は高等教育を受けていない。エリートと呼ばれていた人たちの悲劇ばかりを扱うことは一種のミスリードに繋がりかねないのではないか。少なくとも戦後教育では誰の命も平等と教え込まれているのだから。

より身近な市井の人たちが遭遇した無数の悲劇も扱わなければ大戦の実相は見えにくくなるばかり。歴史を正しく伝え続けることは至難だが、あの時代にトラジディーを背負わされた若者は大学生ばかりではないことだけは確かだ。

貧しい生まれ育ちで、カタカナしか書けなかった男・山田(渥美清)を主人公とする昭和の名作映画『拝啓天皇陛下様』(63年)で、山田は「軍隊は天国だ」と徴兵を歓迎する。食うや食わずの生活から脱し、寝食が保障されていたからだ。しかし、祖父は断じていた「兵役を喜ぶ奴はいなかった」と。非エリートたちも欣喜雀躍して戦地に行った訳ではない。

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