ロスジェネ世代の精神科医・熊代亨氏の新刊『「若作りうつ」社会』より---【最終回】「年の取り方がわからない社会」とサブカルチャー

【第1回】はこちらをご覧ください
【第2回】はこちらをご覧ください

秋葉原の街なみ〔PHOTO〕gettyimages

太古の昔から、音楽や物語、絵画といったカルチャーは、その時代ごとの精神性、その時代を生きた人々のよろこびや悲しみを反映してきました。モネやセザンヌの絵画にしても、森鴎外や夏目漱石の小説にしても、その時代だからこそ生まれてきたものですし、時代と共鳴してはじめて名声を勝ち得るに至ったものです。そういう意味では、ルネサンスを知りたい人がイタリアの美術館を巡るのは理にかなっていますし、時代を読み取る脳波計として文化習俗を追いかける社会学者の手法にも興味が尽きません。

そうした視点で日本のサブカルチャーを眺めてみると、「年の取り方がわからない」「成熟がわからない」社会があちこちに反映されているさまがみてとれます。以下に、少年漫画と青年向けアニメの変遷について、ダイジェスト的に紹介してみます。

少年漫画――身を立てる物語から、機転や特殊能力を予め与えられた物語へ

少年漫画の領域では、1960年代後半からスポ根漫画が流行し、『巨人の星』や『あしたのジョー』などがヒットしました。これらの作品は、大人社会への反抗意識こそ希薄ですが、「努力を重ねていっぱしになる」「頑張って身を立てる」といった成長物語としてのニュアンスは濃厚でした。スポ根漫画には、「子どもが子どものままでは活躍できない」「少年少女が努力して一人前にならなければ活躍できない」含みがあり、そのような作風を高度成長期の子ども達は受け入れていました。

ところが1970~80年代になると、スポ根漫画は廃れ始めます。例えばジャンプ黄金期のヒット作――『キン肉マン』『キャプテン翼』『聖闘士星矢』など――にも努力や根性がそれなりに描かれています。

ただ、決定的に違っていたのは、そうした努力や根性が子どもから大人に脱皮するためのプロセスや「身を立てる」ためのプロセスとして描かれず、少年が少年のままで勝利するためや、仲間との友情のためのプロセスとして描かれたことです。そうした変化を象徴していたのは、デフォルメされた体型のままで冒険を続ける前期『ドラゴンボール』の大ヒットです。身を立てるために生き急ぐ物語・脱皮して大人になっていく物語に、青少年は魅了されなくなったのです。

さらに時代が下って1990年代~2000年代になると、努力や根性にページを割く作品はいよいよ少数派となり、『BASTARD』や後期『ドラゴンボール』のようなインフレパワーバトル作品、『名探偵コナン』『DEATH NOTE』のような少年の機転をウリにした作品が台頭してきます。より低年齢層をターゲットにしたジャンルでは『ポケットモンスター』『遊☆戯☆王』のような、召喚獣やカードに能力をアウトソースする少年を主人公にした作品が一大市場を形成するようになりました。