第68回 チャップリン(その一)---父は急死、母は発狂。貧民街で生まれ、孤児院に収容された世界の「喜劇王」

一九七二年、『モダン・タイムス』のリバイバル上映を口切りにして、チャールズ・チャップリンの作品が、次ぎ次ぎに、上映されるようになった。
その事情は、まったく与り知らないが、一年後には名画座にも、チャップリンの作品がかかるようになった。

私が初めて見た、チャップリンの作品は、『独裁者』。
実に楽しかった。
小林信彦さんが、マルクス兄弟を、本格的に紹介しはじめた時期だったから---上映はかなり後からだけれど---アメリカの喜劇には、特段の興味を抱いていたが、こんなに凄い作品だったとは、思いもつかなかった。

併映されたのは、コスタ・ガブラス監督の『戒厳令』。
余談だが、イヴ・モンタンが、左翼勢力の弾圧を指導するアメリカ人役で、出ていた。イヴ・モンタンは、おそらく、当時のフランス、というかヨーロッパで、最も高名なコミュニストだったと思う。

要するに、劇場側としては、強い政治性を帯びた作品を、二本かけるという目論見だったのだろう。
たしかに『戒厳令』は、中学生でも解る、明確な政治的メッセージを打ち出していたが、『独裁者』は、とにかく、愉快で仕方がない、という感じ。
政治的なメッセージは、直接的には届かないように思われた。
もちろん、最後のスピーチは感動的だったけれども。

チャールズ・スペンサー・チャップリンは、一八八九年四月十六日ロンドンの最下等とされている貧民街、ウォルワースのイースト・レーンで生まれた。
彼が生まれた時、一家は裕福だったという。

父は、一八八〇年代の英国のミュージック・ホールでは名の知れた歌手だった。
音楽だけでなく、時に、役者として舞台に立ったというから、かなりの才人だったのだろう。
母親も旅まわりの芸人で、『ミカド』で一世を風靡した、ギルバート=サリヴァンのオペラを演じる一座の主役を務めた。

幼いチャーリーは、早くから不幸を体験するはめになった。
父親が、急死したのである。
父は、アルコール依存症を長いこと患っていた。
幼いチャーリーは、夜中まで、聖トマス病院の外にたち、父の回復を祈っていたが、その祈りはかなえられなかった。

子供たちは、ロンドン郊外から約二十キロのハンウェル孤児院に、収容された。
母の懐具合がよくなると、孤児院から出て、チャーリーと兄のシドニー、そして母の三人で暮らせる時期もあったという。
この時期を、チャップリンは、ピカソの「青の時代」に擬えて「灰色の時代」と、名づけている。

「お金を拾ってから、歌ってもいいですか」

母、ハンナはロンドンからさほど遠くないオルダーショットの、兵隊が主な客である劇場に出演する事になった。
けれども、貧乏暮らしのなかで、ろくに食事もしていなかったため、声が出なかった。