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忘れられない光景がある。

'01年10月、私はパキスタン北西部のペシャワルにいた。取材先からの帰途、車の窓から遊園地が見えた。白と緑のネオンに縁取られた観覧車が夜空に幻想的な弧を描きながら回っていた。

米軍のアフガニスタン空爆が始まったばかりだった。ホテルに戻って屋上に上がると暗闇のかなたに明滅する光が見えた。約100㎞西のアフガンの都市ジャララバードと、その先の首都カブールがミサイル攻撃を受けているのだ。

屋上には欧米のテレビ局のカメラがいくつもセットされ、キャスターたちがリポートを競い合っている。あの光の下でテロと無縁の人々が殺され、負傷し、逃げ惑っている。現に多数の難民が国境のペシャワルに押し寄せていた。

それでもペシャワルでは観覧車がゆったり回る。人々は遊ぶ。戦争と平和。日常と非日常。その狭間の不思議な空間に自分が迷い込んだような気がした。

北京経由の飛行機でパキスタンの首都イスラマバードに着いたのは、その3日前だった。米軍の攻撃開始の報を受け、車で約200㎞西のペシャワルに向かった。空爆の模様を難民から聞くためだ。

運転手はやたらクラクションを鳴らしながら前の車を追い抜いていく。やがてエメラルド色に輝くインダス川を渡った。窓外に流れる風景に目をやりながら、私は内心でかなり脅えていた。

イスラマバードの日本大使館から「ペシャワルはいつ暴動が起きるかわからない危険な状況。身の安全を考えるなら飛行機の便があるうちに日本に帰ったほうがいい」と言われていたからだ。

すでに日本のテレビ局はペシャワルから次々と撤退していた。大使館は万一に備え、バスをチャーターして在留邦人を陸路インドへ脱出させる準備を進めていた。

ペシャワルのある国境地帯は「タリバン発祥の地」で反米感情の強いところだ。そこに飛び込んでいけばどんな目に遭うかわからない。日本が米軍支援の自衛隊をインド洋に派遣することはパキスタンでもよく知られていた。

3時間余りで着いたペシャワルは硝煙の臭いのする街だった。カラシニコフ銃で武装した警官隊のトラックと何度もすれ違った。大通りに面したドでかい要塞からは大砲の砲身が突き出ていた。

ホテルに到着早々、日本人カメラマンが催涙弾でけがをしたというニュースが飛び込んできた。外国人カメラマン2人も群衆に囲まれて殴られたらしい。反米デモは激化の一途をたどっていた。

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