栗城史多【第1回】「ネット上で僕を叩いていた人が、山を登りきったときに『ありがとう』と言ってくれたことが衝撃でした」
冒険を共有し挑戦の火を灯す「チャッカマン」という仕事
栗城史多氏と慎泰俊氏

慎: 尊敬するプロフェッショナルの方に「仕事ぶり」をお伺いするインタビュー、第2弾は栗城史多さんです。まずはすごく初歩的な質問なんですが、栗城さんのお仕事は何ですか?

栗城: 僕のお仕事ですか、難しい質問ですね。何とか食べていっていたりとか、いろいろな人たちと関わって役目を果たせているので、それが仕事になっているのかもしれないですが……。職種ということじゃないですよね?

慎: あえて一言で言うなら何でしょうか?

栗城: そうですね、「チャッカマン」みたいなものですかね。僕はエベレストなどで「冒険の共有」ということをやっているんですが、それを共有した人たちが自分も何かやってみたい、チャンレンジしようと思ってくれたりするんですね。

山登りもいろいろなチャレンジと同じで、途中で天候が悪いから下山したり、それでももう一回やろうと思ったりと挑戦の連続です。なにか人のそういったものに火を点ける役目なのかなと思って、「チャッカマン」という言葉が今勝手に出てきました。

慎: だからこそ、動画撮影用の機材を自分で持って登ったりするのですね。単純に登るだけならもっと楽な装備もあると思いますし、そこが登山家というのではなく、「チャッカマン」ということなんですね。

「現地から動画の配信をやらないか」と声をかけられて

慎: では、そのチャッカマンになろうとした理由は何ですか?

栗城: 元々僕は、大学生の頃から山登りをしていたんですが、大学3年生のときにマッキンリーという北米最高峰の山にいきなり一人で向かっていったんですよ。そのとき、周りはものすごく反対したんです。

大学もそうだし、親戚もそうだし、友だちも全員反対で、それは僕にとってはすごく辛いことだったんです。それでもマッキンリーに行くことはできて、大学を卒業してから六大陸の山を登り、その後標高8201mのチョ・オユーという山に向かったんです。

そのときに、日本テレビの土屋敏男さんとの出会いがありまして。

当時まだ日本にUstreamとかYouTubeがなかったんですが、テレビ局が動画をやり始めたときだったんですね。ちょうどそのタイミングで土屋さんとご縁ができて、「こういう山に登るんですよ」と言っていたら、後日電話がかかってきて、「現地から動画の配信をやらないか」と言われたんです。それは面白そうだな、と思ってお引き受けしました。

こういう冒険の世界ってなかなか伝えにくいんですよね。山岳小説とかそういうのもあるんですが、登ったことのない人にはなかなか理解できない世界なので、動画を使って伝えることができるのは素晴らしいな、と思いました。

登山家の人たちはそういったことはやらないんですが、僕はやりたい!と思ってお引き受けしたんです。

そしたら、深夜番組で放送だったんですが、その番組のタイトルが問題になったんですね。「ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ」というタイトルでした。

慎: その辺はもう、テレビの人たちは勝手につけちゃいますもんね。

栗城: そうなんですよ。僕は高校卒業してから実際にニートをやっていたので、そういうタイトルをつけられたんですが、そうしたら全国の本物のニートの方とか引きこもりの方たちが僕のサイトにたくさん集まってきたんですよ。

それで、「栗城頑張れ」とかじゃなくて「栗城死んじゃえ」とか「どうせ登れないだろう」とか、そういう意見がたくさんきてしまったんです。それはまあよかったんですが、山に一回アタックして頂上近くで悪天候になって下山したんですね。

栗城: それで、下山したときに彼らの反応を見たら、少しは励ましのメッセージがあるかと思ったんですが、「やっぱり栗城は登れなかったな」とかいろいろ書いてあって(笑)。でも僕は「もう一回やらせてください」と言って向かっていったんです。8000mの山を二回登るというのはすごくキツいことなんですが、連続して登ることになって、最後は頂上に着くことができたんですね。

そのときに帰ってきてメッセージを見てみたら、「栗城は登れない」とか「死んじゃえ」とかいろいろなことを書いている人たちの意見が変わってきていて、最後に一言だけ「ありがとう」と書いてあったんです。僕は山を登っていて「登頂おめでとう」とか「頑張ってください」とか言われたことはあるんですが、「ありがとう」という言葉を言われたことはなく、すごく衝撃的でした。

彼らもいろいろなことを書いているんですが、心の奥底では何か自分のなかにある、人間としての夢だったり希望だったり目標みたいなものがあって、いろいろなことを言いながらも、それを栗城の姿と重ね合わせながら見ていてくれたんだな、それはすごく素敵なことだな、と思いました。それで、土屋さんに「もう一回やりましょう」と言ったら「一回やったからもう要らない」と言われまして(笑)。

「じゃあ自分でやります」と言って、自分で企画書を書いて飛び込み営業して、プロジェクトを立ち上げたというのがやり始めたきっかけです。

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