「講座:ビジネスに役立つ世界経済」 
【第33回】 ユーロ危機と似た構図の新興国市場の混乱

〔PHOTO〕gettyimages

懸念される「1937年大不況」型の危機到来

米国FRBのTaperingの進行によって、新興国市場(外国為替市場、株式市場)が混乱した。筆者は、かねがね、米国のTaperingの進行は、大恐慌による深刻なデフレ後の1936年~1937年にかけて、当時のFRBが実施した「出口政策」と同じ意味を持つのではないかと考えてきた。当時のFRBも、現在のFRB同様、大胆なゼロ金利・量的緩和政策の実施によって、デフレリスクの払拭、及び景気回復を実現させた。

だが、量的緩和政策実施から5年が経過した1936年半ば以降、デフレや金融危機のリスクはほぼ完全に払拭されたという認識の下、段階的に「出口政策」を実施した。「出口政策」が開始された当初は、多少の混乱はあったものの、「これは、米国景気の正常化、景気回復を反映したもの」として、マーケットから好意的に解釈された。

その後、ほぼ「出口政策」が終了し、政策金利の引き上げ(ゼロ金利政策の解除)が視野に入り始めた1937年に、株式市場を中心とした米国マーケットは大きな調整局面に入った。そして、やがて、それは実体経済にも及び、米国経済は大恐慌期に次ぐ深刻なデフレに逆戻りしてしまった(「1937年大不況」)。

この「1937年大不況」の特徴的な点は、クレジットスプレッドの急上昇であった。つまり、低格付けの社債の利回りが急上昇する一方、国債や高格付け社債の利回りはほとんど上昇しなかった。

つまり、「1937年大不況」では、財務体質が強固な企業がシェアを伸ばす一方、大恐慌からの脱出で、事業展開のチャンスを迎えつつあった新興企業(及び中小企業)の資金調達コストが急上昇し、経営破綻が相次いだ(この「独占・寡占状態の強化」を当時、学界で隆盛を誇っていたマルクス経済学者は、「資本主義の病理」ととらえた)。

このように、当時のFRBの「出口政策」の失敗は、資金力が脆弱な新興企業に大きなダメージをもたらした。その意味で、「出口政策の失敗」のリスクは、「クレジット市場のクラッシュリスク」であったと解釈できよう。

当時の大恐慌、特に、その第2波となった1931年以降の欧州金融危機を起点とした世界恐慌によって、既に新興国経済はほぼ崩壊していたため、1937年大不況が新興国経済にもたらした影響は大きかったが目立たなかった。

だが、今回の危機、すなわち、一時は、「世界大恐慌の再来か」と危惧されたリーマンショック後の金融危機では、新興国市場は先進国の証券化市場には異なり、高成長を続ける有望な投資先としての地位を維持した(特に、中国政府による「4兆元の公共投資」実施後はそのような認識が強まった)。

そのため、今回、万が一、筆者の懸念するような「1937年大不況」型の危機が到来するとすれば、「クレジット市場」として、新興国市場の崩壊が連鎖的に発生する恐れがあると考える。

昨年10月、そして、今回の「Tapering騒動」での新興国市場の混乱は、今後、FRBによるTaperingが進行するに従って、「クレジット市場」としての新興市場で大きな調整が起こる可能性を示唆していたと考える。

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