[裏方NAVI]
中山美幸(アイスホッケーレフェリー)<前編>「日本人女性第1号」

バンクーバー五輪では5試合で笛を吹いた

 7日に開幕したソチオリンピック。注目のひとつは、“スマイルジャパン”こと女子アイスホッケー日本代表だ。過去、日本の女子アイスホッケーがオリンピックの舞台を踏んだのは、1998年長野大会の1度限り。今回は、それ以来の出場だ。実は、その“スマイルジャパン”よりも一足早く、長野以来のオリンピックの舞台を踏んだ女性がいる。レフェリーの中山美幸である。2010年2月、カナダ・バンクーバーで開催された冬季オリンピック。中山は女子アイスホッケーのラインズマンを務めた。それは海外開催のオリンピックとしては、日本人女性初の快挙だった。

「おう、良かったなぁ。おめでとう!」
 09年9月のある日のことだ。試合会場で日本アイスホッケー連盟の役員に、そう声をかけられた。だが、中山にはその言葉の意味がわからなかった。
「何のことでしょう?」
 不思議そうな表情を浮かべる中山に、今度は役員が驚いた。
「あれっ!? まだ聞いてなかったんだ。オリンピックでのラインズマンに決まったぞ!」
 その言葉を聞いて、中山はほっと胸をなでおろした。実は、人知れずプレッシャーを感じていたのだ。

「夏ごろに世界の女子レフェリーを統括する方が来日した際、『ほぼ決定ですよ』というふうに言ってくれていたということは聞いていたんです。でも、長野オリンピックを除けば、これまで日本人女性は一人も選ばれていませんでしたから、ぬか喜びはできませんでした。最後までわからないぞ、と。ところが、周囲からは『もう、確実だろう』なんていう声もありました。だから『これで決まらなかったら、どうしよう……』とプレッシャーもあったんです。決まったと聞いた時は、本当に嬉しかった。でも、まだ夢のように感じていましたね」

 不思議な相性の良さ

 約半年後、中山はバンクーバーの地に降り立った。そして、世界から集結したレフェリー、ラインズマンと最初に視察で訪れたのは、「カナダ・ホッケー・プレイス」(現ロジャース・アリーナ)、ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)のバンクーバー・カナックスの本拠地だった。

「私、こんなすごいところで笛を吹くんだ……」
 中山は、高揚感を抑えることができなかった。目の前には今まで、遠いテレビの世界が広がっていたのだ。これまで見たことのないスケールの大きさに、中山は度肝を抜かれた。と同時に、「こんなところで笛を吹けるんだ。なんだか、ワクワクしてきた!」と嬉しさがこみあげてきた。

 開幕戦を含め、中山は予選リーグから準決勝まで4試合、ラインズマンを務めた。緊張で押しつぶされるという感覚はまったくなく、「楽しくて、楽しくて、仕方なかった」という。4年に一度の大舞台を、中山は存分に味わっていた。なかでも最も印象に残っているのは、あるひとりのラインズマンとの相性の良さだった。

「デンマークのラインズマンだったのですが、それまで一度も一緒にやったことはなくて、オリンピックで初めてペアを組んだんです。それなのに、はじめから阿吽の呼吸でした。本当にやりやすくて、特に『こうしよう、ああしよう』なんていう言葉はまったく要らなかった。アイコンタクトだけでお互いに理解し合えたんです」

 それは評価にも表れていた。アイスホッケーはレフェリー1人、ラインズマン2人でジャッジを行なう。そのジャッジは毎試合、スーパーバイザーによって評価され、点数がつけられる。その評価が、オリンピックをはじめとした国際大会への召集、さらに大会の中でも決勝や3位決定戦をどのレフェリー、ラインズマンにするかの指標となるのだ。中山とデンマーク人のラインズマンがペアを組んだ試合は、その評価が高かった。さらにスーパーバイザーには「あなたたち、本当に楽しそうにやっていたわね!」と声をかけられたという。

「やっぱり相性ってあるんだなぁ、と思いました。彼女が特に高いスキルを持っていたかというと、そうではなかったんです。ラインズマンに欠かせないスケーティング技術も、決して巧いとは言えなかった。それでも、ピタッとフィーリングが合ったんです。本当に不思議な体験でした」