『ミッドウェー戦記(上)・(下)』著:亀井宏
「赤城」「加賀」「蒼龍」が被弾。唯一残った「飛龍」の死闘が始まった――機動部隊最後の砦「飛龍」かく闘えり

(解説:神立尚紀)

将兵たちが語るあの死闘の真実

大東亜戦争が終わって70年近くが経ち、当事者の孫の世代を中心に、戦争を見直す気運がふたたび高まっている。ただ、20歳代で終戦を迎えた若者たちが90歳前後の高齢となったいま、往時の記憶を鮮明に語り得る当事者は、残念ながら多くない。

一例を挙げると、終戦時に残存していた日本海軍の零戦をはじめとする戦闘機搭乗員約3700名のうち、戦後50周年の平成7年、生存が確認されたものは約1100名。60周年の平成17年にはそれが約400名になり、70周年を翌年に控えた平成26年1月現在、二百名ほどまでに減っている。その二百名も、多くは大戦後期に大量養成された若年搭乗員で、真珠湾攻撃からミッドウェー海戦にかけて機動部隊の航空母艦乗組であった戦闘機搭乗員は、たったの一名しか残っていない。まさに「歳月人を待たず」である。

ここ数年のうちに、ノンフィクション、フィクションとりまぜて幾多の大東亜戦記の本が出版されたが、当事者への直接取材をしないで、既存の書籍や資料をもとに独自の解釈を交えて書かれたものが多く、文学的価値はともかく、それらが歴史を正しく伝えているとは言いがたい。

否、これは近年に限ったことではないのかもしれない。当事者の多くが存命だった昭和三十年代から五十年代前半にかけ、「戦記ブーム」とも呼べる時代があったが、その頃に出版された本の多くは、当事者の手記の体裁をとっていても、じつはいまでいうゴーストライターが書いたものだった。読み返せば、資料的価値もふくめ、後世の評価に堪えうる作品は存外に少ないことがわかる。

もちろん、例外もあった。その代表的なものをいくつか挙げると、元慶應義塾塾長・小泉信三氏が、戦死した息子を偲んで戦時中に書いた文を昭和四十一年に刊行した『海軍主計大尉小泉信吉』、「特攻生みの親」とされる大西瀧治郎(おおにし・たきじろう)中将の副官を務めた門司親徳(もじ・ちかのり)氏(海軍主計少佐、戦後丸三証券社長)が、元海軍報道班員で毎日新聞社の新名丈夫(しんみょう・たけお)氏に勧められて著した『空と海の涯で』(昭和五十三年)、そして、亀井宏氏が書いた本書『ミッドウェー戦記』(昭和四十九年)となろう。

これら三冊に共通するのは、著者自身が目で見、耳で聞いたことを第一の拠りどころとしていることだ。憶測や伝聞など不確かな要素や装飾的な文章表現を極力排し、淡々と綴っていることで、そこに書かれた「事実」の重みがかえって、読者の胸に迫ってくる。

なかでも、『ミッドウェー戦記』は、戦いの当事者ではない一人の取材者が、執念ともいえる熱意で、多くの関係者を自分の足で訪ねて書いたという点で、異彩を放っている。