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2014年02月06日(木) 中谷一馬

母子家庭・貧困育ちから、元首相の秘書を経て、神奈川県議会議員に史上最年少27歳で当選した中谷一馬が政治家になった理由

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著者の中谷一馬氏

中谷一馬『僕が政治家になった理由』より

2011年、4月10日。
第17回統一地方選挙投票日。
得票数17221票。

地盤・看板・鞄、組織票・基礎票も持たなかった僕は、開票速報の序盤では得票数ゼロ。そこから追い込んで、当選順位は最下位で逆転勝利。27歳にして史上最年少の神奈川県議会議員となった。

両親の離婚、転校、イビり

僕は、貧しい母子家庭で育った。時として生活保護を受給せねばならないほどの暮らしの中で、家族は、埼玉、東京、大阪、神奈川と、各地を転々とし、僕は二つの幼稚園、四つの小学校、二つの中学に通った。

幼少期の住まいは長屋で、トイレはお決まりのボットン便所。まるで昭和を思い出させるような六畳一間の部屋に、母と僕、妹二人と、川の字になって寝た。ちゃんとご飯は食べていたけれど、同世代の友人のように、習い事をするような余裕はまるでなかった。

父は、幼い僕にとって、これ以上の恐怖を味わったことがないくらい怖い人だった。今となっては、ちょっとやそっとの事では何も動じない胆力がついたのはこの環境・境遇のおかげだったとプラスに捉えていることもあるけれど、母はとても苦労したと思う。外でも始終ケンカばかりしていたし、家で父は、母を怒鳴り、殴った。3歳の僕が「もう止めてぇ!お母さんを叩かないで!」と泣きながら間に入った光景を、今もはっきり覚えている。そして、父と母は、僕が11歳のときに離婚した。

その後の母の苦労も、並大抵のものではなかった。昼はパートに出て、夜は飲食業の勤めに出たり、小さな居酒屋を営んだりして、身体が壊れるまで働いた。だからこそ僕たち兄妹は、親族や母の友人等を頼って、各地を転々とせねばならなかった。

多くの転校の中でも、小学校5年で東京から大阪へ移った時が一番キツかった。大阪弁をしゃべらない異邦人の僕は、ちょっとした村八分状態になり、からかわれたり、いびられたり……。でも、なんとか乗り越えた。今思えば、転校を繰り返す中で、僕は自分のコミュニケーション能力や環境適応能力、順応性を培っていたように思う。

習うより、慣れろ。

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