ピニンファリーナ× 増田宗昭「デザインとビジネス」【前編】「計算尽くめでかつリスキー、それが見る人をひきつけるのです」
(左)ピニンファリーナグループCEOパオロ・ピニンファリーナ氏、(右)カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役社長兼CEO増田宗昭氏
昨年11月27日、代官山T-SITEの蔦屋書店で「"デザインで文化を創る"~世界を変えるための新しいスタイル、建築学的方法~」と題したトークイベントが開催された。登壇者はフェラーリなどのカーデザインを手がけるピニンファリーナグループCEOのパオロ・ピニンファリーナ氏と、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC代表取締役社長兼CEOの増田宗昭氏。モデレーターはCCCカーライフ研究所の堀江史朗所長。イベントの模様を前後編に分けてお伝えする。

83年の歴史を持つデザイン会社「ピニンファリーナ」

堀江: ピニンファリーナというと、車のイメージ強いのですが、現在は建築や家具、鉄道へとデザインの幅を広げています。まず、ピニンファリーナの歴史を教えてください。

ピニンファリーナ: ピニンファリーナは、1930年に私の祖父・バッティスタが創業したカロッツェリア(自動車のデザイン・製造業)です。祖父は、1893年生まれです。車と共に生まれたと言っていいと思います。祖父の伝記のタイトルはまさに「車と共に生まれた」です。

創業前、祖父、兄のジョバンニと一緒に、イタリア国内向けに特別仕様の車をランチアやフィアット向けに造っていました。つまり、イタリアの車は、トリノで生まれたということになります。

1930年に起業した後は、カーデザイナーとしてランチアとの強いパートナーシップの下で仕事を進めてきました。この時代に、すでに「ピニンファリーナビジョン」は固まっていました。それはすなわち、ラグジュアリーであり、リサーチを徹底し、開発を一緒に進めるというものです。

こうして1930年代後半にかけてピニンファリーナは成功しました。その後、第二次世界大戦を経て、47年頃にシスタリアという車を発表し、世界にも認知されるようになりました。

それをきっかけに国際舞台に立つ機会も増え、プジョーやGM、日産自動車とも、50年代終わりから仕事するようになりました。