日本文化の魅力を世界に広めるため、東京を文化・芸術都市に!
舛添 要一
[PHOTO]Getty Images

東京という街を考えるとき、自分が長く住んだことのある外国の都市と比較しながら、多くのヒントを得ている。若い頃、研究のために長期滞在したのは、順に言うと、フランスのパリ、スイスのジュネーブ、ドイツのミュンヘンである。

大都市というと、まずはパリである。このコラムの前々回で、19世紀半ばにパリを大改造したオスマン男爵の話を書いたが、この街は基本的には今も、その当時と変わらぬ佇まいを見せている。

河川の復活は都政課題の一つ

私は、エッフェル塔と廃兵院の中間にあるサン・ドミニック通りに住んでいたが、週末に暇があるとセーヌ河の両岸をよく散歩した。セーヌの流れをただぼんやりと眺めているだけで、専門のフランス政治史上の様々な出来事が頭に浮かんできた。

それに、河岸に屋台のような古本屋(ブキニスト)がずらっと並んでいるので、そこで専門分野の資料漁りをするのである。主として外国やフランスの地方からの観光客相手なので、絵葉書や版画なども売っているが、昔の本や資料の宝庫でもあり、しかも学術専門古書店と違って値段も安い。

今、私の書棚には、おそらくは日本に一冊しかないような貴重な古書が並んでいる。そのうちの数十冊はセーヌ河岸で見つけた「お宝」である。

文明は大河の沿岸に生まれ、そこに都市が出現した。東京の隅田川、パリのセーヌ河、ロンドンのテームズ河などがそうである。都市を貫く河をどのようにして全体の景観の中に位置付けるかが大事になる。

ところが、東京の中小河川の戦後史は、埋め立ての歴史となっている。戦後の東京では、戦争が生んだ大量の瓦礫を処理するために、それを外堀や中小の河川に投げ捨てて、埋めてしまったのである。当時の戦後の混乱状態では、そうする他に手がなかったのであろうが、今から考えれば残念なことである。

前回の東京オリンピックの頃には、次の埋め立てが始まった。高度経済成長に合わせ東京大改造に取り組む中で、京橋川や汐留川が首都高速の道路用地になってしまった。水運が終わり、トラック大量輸送の時代が幕を開けた。

第三の埋め立ては、東京の公害史と重なる。昭和40年代に入り、高度成長の負の側面として様々な公害がクローズアップされる中で、中小河川の水質悪化も問題となり、手っ取り早く解決するために上部にコンクリートをかぶせた。文字通り「臭い物に蓋をした」のである。

私の住む世田谷でも、水質悪化を契機として埋め尽くされた川に、現在では下水処理後の水を注入し、小川を甦らせているが、心地よい散歩コースとなっており、魚やザリガニなども生息するし、水鳥も飛来している。しかし、その人工の川も、環状7号線で寸断されてしまう。

埋められてなくなった川について、詳細な調査をして、水の流れを取り戻す試みができないかと考えている。河川の復活というのもまた、都政の課題の一つである。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら