第66回 安藤百福(その二)留置場の飯の不味さ、終戦時の街角―「食足世平」の理念に至った原体験

安藤百福は、国の物資を横流しにした廉で、濡衣を着せられてしまった。
留置場に入れられた。
六、七人が漸く座れるくらいの広さだった。
しかも、取り調べは暴力的だった。
いつの間にか、百福の自白調書が作成されて判子を押せと強要されたが、従わなかった。

「死んでもいいから、正義が守りたい」

一番困ったのは、食事だったという。
毎日、毎日、麦飯と漬物。
食器は汚れていて、酷い臭いを発していた。
とても食べる気にはなれず、絶食した。
すると同房の囚人たちは、争って百福の飯を奪いあった。
あさましい、とは思わなかった。所詮、人間も動物ではないか。
百福は、食事はすべて同囚にわけ与えた。
食を断ってしばらくすると、下痢がはじまった。余りの衰弱ぶりに同囚の仲間も、心配してくれた。

結末は、あっけなかった。
翌日、釈放になる仲間が、「力になれる事はないか」と訊いてくれたのである。
百福は、井上安正陸軍中将に、自分の現状を伝えてくれ、と頼んだ。

翌日、憲兵隊から解放された。
四十五日ぶりに、自由を獲得したが、勾留による傷跡は、はなはだしいものだった。
大阪市北区の中央病院で、長期の療養を余儀なくされた上に、腹部の痛手は持病となって、二度の開腹手術を受けなくてはならなかった。

退院後、大阪府吹田市の自宅に帰ったが、空襲が激しくなったので、兵庫の上郡に疎開した。世話になった井上中将を招待して、牛肉と鹿肉をふるまった。
食糧が払底していた時期なので、中将は喜んだが、食べ過ぎて、腹を痛めてしまった。

百福は、上郡で終戦を迎えた。
青畳の上で思い切り体を伸ばし、玉音放送を聴いた。