選ぶべきは「日米同盟の強化」!米国が日本より中国を選ぶ現実を前に、国連憲章に基づく「集団的自衛権見直し」は当然だ
1月24日の施政方針演説で、集団的自衛権の行使容認について「対応を検討する」と述べた安倍首相[PHOTO]Bloomberg via Getty Images

ことしの大テーマの一つは集団的自衛権の見直し問題である。

安倍晋三政権はできれば6月下旬までの通常国会会期中にも憲法解釈を変更して、行使容認に踏み切りたい意向だ。一方、日本共産党は言うに及ばす、民主党は見直しに反対する勢力が多い。与党でも公明党は慎重だ。この問題をどう考えるか。

見直し反対論は国連憲章に反している

まず、意外によく知られていない話から書こう。先の大戦が終わった後「悪漢はみんなで退治する」という集団による平和維持という考え方は、世界でとっくに共有されている。それは国際連合の存在理由そのものなのだ。

国連の目的は憲章第1条にこう書かれている(訳文は国連広報センターによる)。

〈国際連合の目的は、次のとおりである。

国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、ならびに平和を破壊するに至るおそれのある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって、かつ正義及び国際法の原則に従って実現すること〉(以下略)

ここでいう「集団的措置」とは、第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」の第42条で具体的に決められている。それは国連安全保障理事会が決めた「空軍、海軍または陸軍」つまり「国連軍」による行動だ。その中には「加盟国の空軍、海軍または陸軍」も当然、含まれている。

続いて、第49条は「加盟国は安保理が決定した措置を履行するにあたって、共同して相互援助を与えなければならない」とも定めている。日本は国連に加盟しているから当然、「国連軍による集団的措置」という考え方を受け入れ、かつ第49条の相互援助義務も負っている。

つまり、たとえば通説では「日本は集団的自衛権を認めていないから、外国軍に武器を提供できない」と思われているが、国連憲章第49条の相互援助義務をみれば、そういう考え方は安保理決議に基づく非常事態下で「国連憲章に反する」と言ってもいいのである。

この1点をみても、日本国内での議論がそもそも国連憲章を基礎にした世界常識から遠くかけ離れていることが分かるだろう。「日本は集団的自衛権の制約があるから、相互援助義務は果たさない」とでも世界に宣言するのか。そんな議論は加盟国として通用しない。

さて、安保理決議に基づく国連軍による平和維持という理想は、国連発足後の冷戦勃発によって、必ずしも理想的に機能しなかった。安保理を構成する米国と旧ソ連が対立したために、国連軍ができなかったからだ。

実は、そういう事態は国連憲章を作るときから南米の国々が心配していた。「安保理で意見がまとまらなければ、国連軍は助けに来ない。そうなれば侵略された国はやられっ放しになるじゃないか」という懸念だ。

そこで憲章に第51条が設けられた。次のとおりだ。

〈この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない〉(以下略)

つまり、国連安保理が国連軍を作って侵略された国に助けに来る前に「自分たちで集団的防衛行動をとってもいいよ」という規定である。その根拠になったのが、問題の「集団的自衛権」という概念だ。「個別的または集団的自衛の固有の権利」という考え方は、ここで初めて歴史に登場したのである。

この第51条で認められた集団的自衛権に基づいて、欧州や米国、旧ソ連圏は冷戦が深まり国連軍が「張子の虎」と分かると、さっさと自分たちだけで、それぞれ集団防衛体制をつくった。それが欧州と米国による北大西洋条約機構(NATO)と旧ソ連圏のワルシャワ条約機構(WTO)だ。

西側も東側も国連軍などというできそうもない「理想の軍隊」に頼らず、自前の軍隊を動かす仕組みを作ったのである。

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