第65回 安藤百福(その一)世界を席巻した即席カップ麺の祖。彼の登場は、文明史的事件だった

2014年02月08日(土) 福田 和也

操縦桿を握った直後、突然気流が激しくなり、機体は不安定になって、急上昇と急降下を繰り返すようになった。
藤村は、青い顔をしていたが、百福は、愉快でしょうがない。

大阪から東京まで、二時間半でついた。

安藤百福(1910~2007)台湾での名は呉百福。世界初のカップ麺をつくった「日清食品」の創業者は、96歳まで生きた

百福は、メリヤス以外の商売にも、手を出すようになった。
近江絹糸の社長だった夏川嘉久次らと、蚕糸事業を試みた。

ヒントは、ひまし油だった。本来は、下剤なのだが、飛行機の潤滑油としても使われるようになり、かなりの需要が見込めた。
蚕は普通、桑の葉で飼うが、百福が実験したところ、ヒマの葉も食べる事が判明した。

少し繭が黄色いが、成長が早かった。
ヒマを栽培して、実からひまし油を取る。
繭は、夏川の会社が糸にし、福井の繊維工業が織物にし、三井物産が販売する・・・・・・。

資本金五十万円ではじめた事業は、順風満帆、成功間違いなしの計画だったが、中断を余儀なくされてしまった。
国際情勢が悪化し、ついに戦争がはじまったのである。

戦時中、百福は、川西航空機の下請けとして、軍用機を生産する工場を経営していた。

軍需工場であるから、資材や部品は国から提供される。
毎日、軍による、厳しい点検が行われる。
ある日、資材担当の社員が耳打ちした。

「どうも数が合いません。誰かが、横流しをしているようです」

百福は、驚いた。
軍の資材に手をつければ、殺されても、仕方がない。
そういう時代だった。

『週刊現代』2014年2月8日号より

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