第65回 安藤百福(その一)世界を席巻した即席カップ麺の祖。彼の登場は、文明史的事件だった

イギリスのミュージシャン、エルビス・コステロは、『MOMOFUKU』というアルバムを作っている。
カップヌードルを「発明」した安藤百福を、賛美する作品だ。
空腹の時、心細い時、温かいスープの香しい匂いと、けして裏切らない満腹感。
アジア圏ならともかく、英米を席巻したのだから、これはやはり、一つの文明史的事件と考えるべきなのではないだろうか。

カップヌードルを生み出した安藤百福は、明治四十三年、日本統治下の台湾嘉義県の樸仔脚に生まれた。
ハレー彗星が接近し、韓国併合が行われ、大逆事件が起きたという、多事な年だった。

百福は、幼くして両親を亡くした。
兄が二人、妹一人という四人兄弟だった。
兄弟は祖父に引き取られた。
祖父は、呉服屋を営んでいたという。
大家族で、大きな丸い食卓で、家族はもちろん店員から、来合わせた顧客までが食事をとったという。

百福は、暇があると店にでて大人たちの商売のやり方を眺めていたという。
大きな、五つ玉の算盤が好きで、幼い時から足し算、引き算、掛け算が出来たそうな。

小学校に通うようになると、自分で朝食と弁当を誂えた。
尋常小学校を終え、祖父の仕事を手伝った。
取引とは、取ったり引いたりするもので、取りすぎて相手を殺してしまってはならない、というような道理を、当時、すでに認識していたという。

百福は、二十二歳で独立した。
『東洋莫大小』と名づけた会社を台北市に設立した。
祖父が織物を扱っていたので、その邪魔をしないようにと気を遣って、編み物のメリヤスを売る商社にしたのである。
創業資金は、祖父が管理していた亡父の遺産で賄った。

百福が考えていた通り、メリヤス商売は大成功した。
内地から商品を仕入れても、仕入れても、間に合わないという大繁盛。
結局、昭和八年に、船場にも近い堺筋沿いの唐物町二丁目(現、大阪市中央区久太郎町一丁目辺)に、問屋として日東商会を設立した。
百福は、和歌山から、大阪、東京とどこにでも出向いて、製造過程を工夫した。
商品を、特注品にすることで、利益を確保する方法も学んだという。