田原総一朗【第1回】「田原さんが、田中角栄から渡された札束入りの封筒を返したのはどうしてですか」
疑問を見つけ事実に迫る「ジャーナリスト」という仕事
田原総一郎氏と慎泰俊氏

慎:  今回は私が尊敬する、プロフェッショナルの方々をお訪ねして「仕事ぶり」について聞くという企画の第一弾なのですが、田原さんにお願いさせていただきました。田原さんは普段はインタビューをする側なので、される側になる機会はほとんどないと思います。

田原: 非常に光栄です。

慎: まず、今いろいろなお仕事をされていると思うんですが、田原さんはご自身のお仕事をどう定義されますか?

田原: 難しい質問だけど、一応「ジャーナリスト」と言っているし、そう思いますね。

慎: それは、元々テレビの時代からずっとジャーナリストだと思っていらしたんですか?

田原: テレビの時代はディレクターだと思っていて、今もテレビの仕事ではディレクターだと思っていますよ。たとえば「朝まで生テレビ」とか「サンデープロジェクト」もそうだけど、司会者だと思ったことは一回もない。ディレクターだと思っています。

敗戦で芽生えた「事実」に迫る姿勢

慎: では、ジャーナリストという仕事は、もう少し噛み砕いていうとどういう仕事だと田原さんはご理解されていますか?

田原: 「真実」とまでは言いませんけれども、「事実」を見つけるという仕事だと思います。

そう思ったきっかけは、後づけの理屈ではあるけれど、小学校5年生のときに体験した敗戦ですね。それが大きいと思うんですね。

田原: 小学校の5年生の1学期に、学校の先生が「この戦争は聖戦である。正しい戦争だ。アジアの国々を解放し独立させるための戦争だ」と言っていたのが、8月15日に敗戦という形で戦争が終わって、2学期になると先生が「あの戦争は間違った戦争だった。侵略戦争だった」と言っていたことを、今でも僕は忘れられない。

1学期までは「君たちは早く大人になって、戦争で闘って天皇陛下のために死ね」と言っていたのに、2学期になったら「もし戦争が起きそうだったら身体を張って闘え」と言っているわけです。こんな体験は若い人たちにはないと思うけど、ある日突然まったく価値観が180度本気で変わったんです。

さらに言うと、今度は高校1年生になったときに朝鮮戦争が始まって、そこで素直に「戦争反対」と言ったら「おまえは共産党なのか」と言われた。だから、偉い人の言うことは信用できない、それから、国というのは国民を騙すものだ、というふうに思ったんです。

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