『人間と動物の病気を一緒にみる』 - 人間の未知、動物の既知

レビュアー:内藤 順

人間の様々な病を、獣医学という観点から眺めると、新たな道が拓かれる。獣医学者だけが知っていた、人間の病の真実。人間の未知は、動物の既知。よく見知った動物たちの知られざる素顔は、背徳感を感じるほどに面白い。

オーストラリアのコアラたちの間では、クラミジア感染症が猛威をふるっており、絶滅の危機に晒されている。タコや雄の種ウマは、人間のリストカットを彷彿させるやり方で、自傷行為に及ぶことがある。愛嬌のある顔をしたワラビーは、エメラルドグリーンのケシの茎が一面に伸び出る魅惑的な風景をバックに、今日も麻薬でラリっている。

本書の著者が提唱する「汎動物学(ズービキティ)」とは、 このような動物の中に見られる人間的な病や現象を観察し、ヒトの医学へも役立てようという試みである。かつて世界は同じ医者が、動物もヒトも治療していた。だが都市化が進み動物と人間が分断されることに伴い、ヒトを見る医者と動物を見る医者は別々の道を歩むことになったのである。

だが、ヒトと動物の連動性を認識することによって、人類の差し迫った懸案事項をも解決しうるのかもしれない。人間の非常識は、動物の常識。されど人間とて動物。両者の疾病には似通ったところも多々あるのだ。人間がヒト特有であり現代的であると思い込んでいたことこそ、問いかけるに値する。

たとえば、「動物は性病にかかるのか?」という疑問。性感染症は魚から爬虫類、鳥類、哺乳類、さらには植物の間にまで広まっていることが発見されている。ヒヒは性器ヘルペスになるし、ロバやヌー、ホッキョクギツネだって梅毒にかかり、交尾の際に相手にうつしていくのだ。

異なる生物の間に共通の疫病や弱点が見られるということは、種の壁を超えた新たな視点でのアプローチを可能にする。ヒトが性病にかかったケースにおいて一番厄介なのは、感染経路に基づいた分類から生まれる罪の意識である。一方、獣医師は動物の正常な生活の一部としてセックスを捉えるため、性的側面をもっと念入りにチェックして対処する。コアラが顔を赤らめながら「いやぁ、先月ちょっとお遊びが過ぎちゃいまして...」などと語り出すのを待つ必要もないということだ。

精神論を排除した状態で、生物学的のみでのアプローチを行うことは、新たな展開を生み出す可能性もある。性病自体を感染症全般という枠組みの中で考えれば、性感染症の病原体の中に、有益なものも含まれるケースだって否定は出来ないという。このような視点から、受精を助けるプロバイオティクス製品が生まれるかもしれないし、精子を殺す種類のものを研究すれば、新しい避妊薬の開発につながるかもしれないのだ。