読書人の雑誌『本』
『孤独な日銀』著:白川浩道---日銀の悲劇

日銀を知らない人はいないと思う。多くの人の財布の中に紙幣(正式には日本銀行券)が数枚はあるはずだからだ。大企業の社債を保有している国民は限られているが、ほぼ全ての国民が日銀の負債である日銀券を持っている。ほぼ全ての国民は日銀の債権者なのであり、その意味で日銀は国民にとって最も身近な企業ということになる。

しかし、実際には、日銀と国民の間にはかなりの距離や隔たりがある。日銀に威厳を感じる人はあるかもしれないが、親しみを感じる人は少ない。かつては、その閉鎖性や排他性から〝法王庁〟と呼ばれていたことすらある。透明度が低く、親しみにくいエリート集団の組織、というのが日銀に対する国民の一般的な評価だろう。

私はその日銀に昭和五十八年四月に入行した。そして同年の十二月初め、北海道の釧路支店に赴任した。国内に三十二(当時は三十三)ある支店の一つだ。

赴任当日の天候は小雪だった。釧路空港は釧路市中心部から北西方向に約二十キロの丘陵地にある。すぐ北側に丹頂鶴自然公園が位置する、まさに大自然の中の空港であり、周囲は寂寥たる大地である。市街地は空港に比べればまだ都会であるが、独身寮は暗く冷たい建物だった。地元の方々には誠に申し訳ないが、「自分はなんという僻地に転勤してきたのか」というのが率直な印象だった。

釧路支店への配属を決めたであろう人事局調査役の顔が浮かび、「何の嫌がらせか」と思った。学生時代に読んだ城山三郎氏の『小説日本銀行』も思い出された。主人公(若き日銀マン)やその先輩が地方支店に左遷されたくだりが鮮明に蘇ったのだ。「本店調査統計局に勤務したわずか八ヵ月の間に自分は日銀という組織から嫌われたのではないか」とさえ感じた。

しかし、赴任当日の第一印象に反し、私は釧路支店での仕事に大きなやりがいを感じた。支店の業務は中央銀行の主たる機能を凝縮したようなもので、日銀という組織を俯瞰することができた。銀行券の発券業務、国庫業務(政府の銀行としての業務)、そして産業調査をやらされたが、どの仕事も楽しかった。「自分は地元経済と直接つながっているのだ」という満足感を得られたからだ。経済活動に自分という一人の人間が影響を及ぼしているという感覚があった。

こうした感覚は日銀の頭脳とも言える東京日本橋の本店に勤務してもなかなか得られるものではない。大企業本社財務部の幹部に経営環境や経済情勢のことをヒアリングし、その結果をレポートにまとめたにせよ、その感動は高々知れている。支店での産業調査は、それが〝あまりにローカルであるがゆえに〟ダイナミズムが違う。私のケースで言えば、根室の漁業者にサンマ漁の業況を聞いて回っていたわけだが、漁獲高、燃料費、漁船投資費、利払い費などの生々しい関係を耳にした。そこでは、日銀の金利政策が企業経営に与える効果の波及経路をイメージすることができたし、それによって興奮もさせられた。

発券業務では、火事の焼け跡から探し出してきたという黒こげになった紙幣の破片をピンセットでつなぎ合わせる作業をやったこともある。貨幣(通貨)の信認を机上の理論ではなく、まさに物理的な事象として捉えることができた。支店勤務は実に貴重な経験であったと言える。

 
◆内容紹介◆
金融政策運営の失敗は、誰の責任なのか
凋落するエリート集団の「存在意義」を問う

本書では、他の日銀本のように、日本経済の長期低迷と金融政策運営の関係を直接的に取り扱うことはしていません。
日銀とはどういう組織でどのような業務を行っているのか。政府との関係はどのようになっているのか。そして、日銀という組織は将来的にどうあるべきなのか――。
本書の目的は、金融政策論やマクロ経済論を展開することではなく、日銀という組織を論じることにあるからです。
組織としての日銀を描写することによって、机上や紙上の金融政策論には現れてこない、実際の政策運営の躍動感を感じていただければと思います。

<巨大組織に潜む「エリート意識」の構造を明らかにした“日銀組織論”!「日銀不要論」を免れるためにすぎない「独立性」は本当に必要なのか―。凋落するエリート集団の「存在意義」を問う。金融政策運営の失敗は誰の責任なのか。スケープゴートにされる日銀のジレンマとは―。>