現代新書

自衛隊と「玉砕」
『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏 特別エッセイ

読書人の雑誌『本』2014年2月号より

 旧日本陸軍に、原四郎(1911〈明治44〉年~1991〈平成3〉年)という参謀がいた。陸軍幼年学校、士官学校予科・本科、陸軍大学校ともすべて首席で通した秀才で、太平洋戦争中は日本軍の拠点であったラバウルで対米作戦に従事し、45年3月内地に帰還して本土決戦――米上陸軍を水際で撃滅する一か八かの作戦――の準備にあたった(以下、原に関してはすべて『原四郎追悼録』〈非売品、1993年〉の記述による)。

 原は日本が降伏して陸海軍が解体されると、防衛庁戦史室に所属して戦史叢書『大本営陸軍部大東亜戦争開戦経緯』全5巻を執筆した。そのかたわらで陸上自衛隊の学校で教官・学生に自分の体験を講演することもあった。専守防衛を旨とする自衛隊であるので、講演も本土決戦準備に関する回想談が主となっていたようだ。

 原は1970(昭和45)年、陸上自衛隊幹部学校における講演で次のように述べた。

あなた方は、いざ日本本土に敵を迎え撃つときが来たら全員玉砕するんですよ。それが軍人の使命です。必死でなければならん。〔中略〕あなた方18万の陸上自衛隊は、大軍をもって押し寄せる敵を前にどうすればよいか。それは、いかに綺麗に戦って、同胞の目の前で散華するかということです。これだけの気魄があって初めて本土を防衛することができると思います。

 では、原の講演を聴いた現場の陸上自衛官はどう考えたのだろうか。原自身が講演のなかで「あなた方の大部は皮膚で反撥されている。顔を見ればそれがわかる。まあ、いいでしょう」と言っているくらいなので、多くの自衛官は「玉砕」の思想に共感しなかったのであろう。しかし、それではなぜ陸上自衛隊の上層部は原に講演をさせたのだろうか。原のいう「玉砕」の思想を伝承させたかったのか、あるいは彼を反面教師にすることで、隊員に最後まで生きて戦うことの大切さを教え込ませたかったのかは判然としない。

 原の講演からすでに40年以上経過している。もちろん1945年の対米総力戦と、現在すなわち21世紀の局地戦は大いに事情が異なるから、両者を同一視することはできない。数十万規模の外国軍隊が日本列島の某地点に大挙押し寄せて上陸するという事態よりも、どこかの島嶼が某国特殊部隊に奇襲され、占拠されてしまう、という事態の方がはるかにあり得る話だろう。実際、陸海空自衛隊ともこうした想定に基づいた装備編制、戦術にシフトしている。もちろん、本土上陸の可能性もゼロとは言い切れないけれども。