スゴ本の広場
2014年01月20日(月)

「掃きだめ」にやってきた偏屈な新本部長(『しんがり 山一証券 最後の12人』著者:清武英利より)

「一章 予兆 1.場末の住人」

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【プロローグ 号泣会見の真相】はこちらをご覧ください。

コンクリートの護岸に囲まれた汐浜運河は、東京の下町のはずれを直線的に隔てている。運河の手前、深川寄りが江東区の東陽、運河を南に越えた彼岸が塩浜である。

此岸の東陽はもともと洲崎弁天町といって、一帯は「洲崎の花街」で通っていた。明治時代、東京湾に面した広大な湿地を埋め立てて、根津遊郭と品川遊郭の一部を移したのが始まりである。東京大空襲で灰燼に帰したあと、「洲崎パラダイス」として復活し、巨大なネオンアーチがそそり立っていた。

その色街も売春防止法の施行で止めを刺され、今はすっかり旧観を失っている。江東区は屈折した時代があったことを恥じ入るように、洲崎弁天町を東陽の一部に編入した。そうした過去もあって一帯は商店街としても住宅地としても中途半端なまま、街を形作れずにいる。

東陽の此岸と塩浜の彼岸をつなぐのが南開橋だ。実際のところは南の方には開けておらず、汐浜運河の濁水を越えると道はすぐに地下鉄の深川車庫に突き当たって、いよいよ人気は失せてくる。

突き当たりの手前に、山一證券が八階建てのビルを建てたのは一九九四年。洲崎パラダイスが消えて三十六年後のことである。塩浜一丁目にあるからという理由で、特にこだわりもなく塩浜ビルと名付けられたが、ビルの住人たちは自嘲の色を浮かべて、「場末」と呼んでいた。

『しんがり 山一證券 最後の12人』
著者:清武 英利
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「塩浜ビルは稼げない者の掃き溜めだからね。だから場末と言うんだ」

本社社員の言葉には嘲弄の響きがある。

「若くてあそこに行っている人はたいてい飛ばされているんですよ」

ちなみに、山一證券の本社は、塩浜ビルから都心側に五キロほど戻った中央区新川にある。こちらは青い窓ガラスがきらきらと輝く二十一階建ての高級オフィスビルだ。一見、変哲のない真っ直ぐのビルは、十三階のあたりから突然、積み木細工のように部屋を互い違いに重ねたような凝った作りになっている。そこから隅田川と、佃島の三角州に立つ八棟の超高層マンションを見渡すことができた。成功者の住む「大川端リバーシティ21」である。

一方の塩浜ビルは、一階に大ホールと共同会議室、二、三階に山一の業務監理本部があり、四階から上の階は、関連会社の山一情報システムや山一ビジネスサービスが占めていた。八階は深川車庫を見下ろす食堂である。そのビルの住人について、法人営業の管理職は断じた。

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