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ルポ・餃子の王将社長射殺事件
〜「創業家内の怨念」と「蠢く半グレ」

フライデー
本社前に設置された献花台。訪れた人々は「あんなエエ人がなんで」と口をそろえた

底冷えのする盆地、京都。その師走の早朝、何者かによって4発の銃弾が放たれ、うち3発が被害者の急所を撃ち抜いた。射殺されたのは「餃子の王将」を展開する王将フードサービス(以下、王将)の大東隆行前社長(享年72)。死因は腹部を撃たれたことによる失血死だった。12月19日、いつものように自らが運転する車で出勤した京都市山科区にある本社前が、凶行の現場となった。犯行に用いられたのは、日本国内ではあまり使われた例のない25口径の自動式拳銃だった。

「この銃は小さくて持ち運びがしやすいので、護身用などに使われることが多い。38口径などと比べると殺傷能力が低く、今回の事件のように殺害目的であれば、数十cm~1mほどの至近距離で多弾数を撃ち込む必要があります。銃の特性をよく理解した犯人と言えるでしょう」(銃器ジャーナリスト・津田哲也氏)

現場に残された4個の薬莢がすべて同じ種類だったことから、「実行犯は一人だった可能性が高い」(捜査関係者)と見られている。

大東氏が4代目社長に就任する直前まで、王将は不動産への過剰投資などで有利子負債470億円を抱え、先行きが危ぶまれていた。それを建て直したのが、再建の切り札として周囲に推され社長に就任した大東氏。資産売却や徹底した経営合理化などでV字回復を成し遂げ、'13年3月期には過去最高の売上高743億円を記録。約680店舗の系列店を擁し、1000店舗を目指して驀進中―傍目にはそう映っていた。だが、王将は、実はいくつかの〝闇〟を抱えていた。

そのひとつが、本誌が'13年7月5日号で『「餃子の王将」世にも奇妙な話創業家3代目「ナゾの子連れ失踪」を元妻が告白』としてスクープした創業家のトラブル。もうひとつは、奇しくも射殺事件当日に容疑者たちの略式起訴が発表された、餃子の王将金沢片町店での〝全裸ネット画像事件〟だ。詳細は後述するとして、まずは凶弾に倒れた立志伝中の人物の一代記を振り返っておこう。

大東氏と創業家の因縁

大東氏の生まれは'41年3月。7人兄弟の末っ子だ。父は豪農の息子だったが、農業を嫌って大阪市でメガネのフレーム工場を開業。ところが大東氏が5歳のときに他界したため、女手ひとつで育てられた。幼い頃は、空襲警報のサイレンが鳴るたび防空壕に避難する戦禍の日々。高校進学は経済的な理由であきらめている。大東氏には16歳年上の姉がいた。彼が本誌に「母親みたいな存在で、小さいころからよく面倒をみてもらった」と語っていた、その姉が嫁いだ先が、後に王将の創業者となる加藤朝雄氏(故人)。義兄・加藤氏に導かれて、当時、加藤氏が経営していた薪や氷を扱う燃料店で働きながら、大東氏は関西経理専門学校に通う。大東氏は本誌の取材にこうも語っていた。

「薪炭、氷商は冬と夏は忙しいけど春と秋はヒマ。儲けたカネはドライブやマージャンなど全部遊びに使ってしもて、知り合いにカネを借りては返すっちゅう繰り返しでした。そんなとき、先代(加藤氏のこと)から『王将も手伝え』と言われたんです」

'67年に加藤氏が京都・四条大宮に餃子の王将1号店をオープンすると、大東氏も同店で働くようになった。「無料券配布」と「餃子を10人前食べたらタダ」という業界初のサービスを考案し、王将の名を世に知らしめた。'78年の東京進出の際も営業本部長として陣頭に立つなど、義兄の右腕として同社を巨大外食チェーンに育てあげてきた。

'93年に加藤氏が急逝すると、2代目のサラリーマン社長をはさんで'94年に加藤氏の長男・潔氏が3代目社長に就任。すでにバブルは末期だったが、過剰な不動産投資や不透明な経理で大阪国税庁から追徴課税処分を受けるなどして赤字を膨らませ、'00年に退任に追い込まれた。かくして登板したのが大東氏だったのである。

前述した「創業家のトラブル」とは、本来なら潔氏から4代目ないし5代目を引き継ぐはずだった同氏の長男・貴司氏にかかわるものだ。

'03年に貴司氏と結婚して男児をもうけているウクライナ出身の元モデル、カチェリーナさんが語る。

「タカシは私が働いていた姫路(兵庫県)の外国人パブで出会いました。以来、京都から毎晩のようにやってきて、3ヵ月後にはプロポーズ。その半年後にウクライナで挙式しました。彼の両親は外国人との結婚に反対だったため出席していません。両親と初めて会ったのは、挙式後、日本に戻ってからです。それまで私は、タカシが王将の御曹司だとは知りませんでした。それで、彼の実家(潔氏が建てた京都・北白川の通称「王将御殿」)を見て、あまりの立派さに驚きました」

しかし、結婚生活は悲惨だった。

「タカシの両親は、タカシが独立して自分で仕事を探すならという条件で結婚を認めてくれました。でも、タカシはほとんど働かない。'04年から、ようやく東京の王将で働き始めたのですが、生活費は一回に数千円程度しか渡してくれず、ドン底生活でした。それだけではありません。私に対する暴力がひどいのです。ことあるごとに『日本人のように振る舞え』『ロシア語を話すな』と言い、キレると私が謝罪するまで暴力をふるい、家の中のものをメチャクチャに壊すんです」

その間に、カチェリーナさんは長男を出産。すると風呂場で延々冷水を浴びせるなどのDVが長男にも及ぶようになったため、彼女は一時ウクライナに避難した。貴司氏が同地まで出向いて謝罪したため、いったんは日本に戻ったが、DVがおさまることはなく、再びウクライナに逃げ帰った。このとき身ごもっていた第2子を流産している。

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