第63回 藤山寛美(その二)取り立て屋が何人も舞台袖に来た。数十億円もの借金とたたかう日々

昭和二十三年十二月二日。
松竹新喜劇は、初日を迎えた。

未だに戦火の余燼が残っている時期で、大半の観客が、手弁当を抱えて、犇めくように客席を埋めていた。
その乏しい弁当のなかにも、銀シャリの御握りを重箱に詰めているお客がいたという。

わしも、豪勢な弁当を食うてやるで・・・・・・。
豪勢な弁当の夢は、すぐに実現したが、弁当どころではない、悪い虫が疼いてきた。

放蕩生活の面白さを一度味わうと、もうブレーキは、きかない。
お茶屋や旅館から金を借りての放埒に、嵌まってしまって、もう身動きがとれない。

知らないうちに、手形が他人の手にわたり、土地の顔役から決済を迫られたり。
舞台の袖には借金取りが何人も陣取って、

「暑うおまんなぁ」
「景気はどないや」
「そりゃもう、あきまへん」

と、やくたいもない会話を続けている。
まるで、新喜劇の舞台そのままやないか・・・・・・。

当時、大阪府警は、「迷惑根絶運動」というキャンペーンをしていたが、藤山寛美は一人で迷惑運動を遂行している始末。

それなのに、中村鴈治郎が、お茶屋の帰りがけに草履が探せずに、下足番が困惑していたので、紙幣に火を点けた、というエピソードを聞いて感心して、真似てみたり。

現金がなくなると、小切手を切ったという。
銀行預金がない時には、先付けで切り、知人に割ってもらう。

手数料は一割。
五万円の小切手がいつの間にか二十万円になり、百万円になってしまった。

舞台にしばられているので、金策をするのも容易な事ではない。
銀行から、預金が尽きたという電話が入っても、奔走するわけにはいかない。
その上、いままで金策を頼んでいた人の会社が倒産してしまい、資金繰りの道がつかず、昭和二十九年には、四千五百万円という借金を作ってしまった。