ソチ五輪スペシャル企画「普通の人」になったオリンピック選手たちに会いに行く
上武洋次郎(レスリング)山本宏美(スピードスケート)川嶋奈緒子(シンクロ)松下和幹(アーチェリー)ほか

世界最大のスポーツの祭典、オリンピック。「結果」にばかり注目が集まる一方で、代表選手たちの「それから」が取り上げられることはあまりない。眩しい舞台から降りた後のオリンピアンたちを追った。

町工場で働いてます

引退後、指導者となることを望むアスリートは多いが、それで生計を立てられる者はほんの一握り。それは五輪選手といえども例外ではない。その多くは「普通の人」となり、就職活動を余儀なくされる。

オリンピックに4度出場したアーチェリー元日本代表・松下和幹(60歳)はハローワークで職を探し、いまは旋盤工をしながら糊口をしのいでいる。

「花咲徳栄高でアーチェリーを教えるための講師になったんですが、1年で辞めました。『来年から非常勤講師でお願いします』と言われたからです。それでは生活できない。大昔、旋盤工をやっていたので、いまの町工場にお世話になっているという次第です。食べていけるスポーツなんて、野球とかサッカーとか、ほんの一部。メダルでも穫っていれば別ですが私のように大会にたくさん出た、というだけの選手なんて誰も知らない。そこは割り切るしかないんです」

松下はそう謙遜するが、ロス五輪では4位。メダルにあと一歩まで迫った。日の丸を背負ったユニフォームと町工場の作業着。落差に戸惑うことはなかったか。

「家族に迷惑をかけてまで、アーチェリー漬けの日々を送りましたが、終わってみたら何も残らなかった。子どもはもう大きくなってしまいましたが、罪滅ぼしというか、いまは一生懸命働こうと思っています。まだ住宅ローンも残っていますからね。ギャップ—というより、元の世界に戻ったという感覚が近いかな」

いま、日々のなかで喜びはあるのか。そんな失礼な問いに松下は笑顔で答えた。

「納期に必死で間に合わせたときかな。他の連中が無理だと諦める中でね。同僚たちはエッと思うほど、諦めが早い。私の場合、アーチェリーで修羅場を経験しているというのがあるのかもしれないけど……」

1本目から全開で臨まなければならないアーチェリーの経験が工場で生きた、という。

「たとえば、『今度の仕事は大変だな』と思ったら、私は最初から全開で取り組みますが、彼らは切羽詰まらないと一生懸命にならない」

一線を退く原因となった右ひじのケガも癒え、週に1回、1時間の練習は欠かしていないという。