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独占インタビュー アントニオ猪木「北朝鮮でオレが見たもの」

張成沢の最後の言葉

北朝鮮ナンバー2の張成沢氏が、国家転覆陰謀の罪で処刑されたという報道は世界を震撼させた。

前回の参議院議員選挙で国会議員に返り咲いたアントニオ猪木氏(70歳)は、11月に所属政党・日本維新の会や参議院の制止を振り切って訪朝し、同月6日に張氏と面会。生前の氏と話した数少ない日本人である

—張氏が処刑されたという一報を聞いて、どう思いましたか。

「本当に驚いた、としか言いようがありません。ただ振り返ってみると、最後に見た張氏は少し元気がなかったように思います。以前の張氏は背筋をピンと伸ばしていましたが、11月にお会いした時は椅子の背もたれに寄りかかり、ぐったりした様子だった。

会談の時間は20~30分ほどでしたが、『この困難な時期に、わが国を訪問された勇気を讃えたい。あなたのしたことは歴史が評価するでしょう』と言われました」

—『歴史が評価する』というくだりは、もしかすると、自分の身に危険が迫っていることを感じていたのかもしれませんね。

今回の訪朝で、以前と比べて北朝鮮に変化はありましたか。

「以前は招待所(政府機関が運営する外国人収容施設)の宿泊でしたが、最近では平壌駅近くの高麗ホテルになりました。

町並みは変わりましたね。新しいビルがずいぶんと増えたし、遊園地やプールもできた。現在はスキー場も建設しているそうです。平壌市民の所得も上がっていると聞いています」

—張氏はどのような立場の人物だったのでしょうか。

「ひとつ言えるのは、張氏には非常に多くの権限が集中していたのではないか。例えば、中国と共同開発している羅先や黄金坪・威化島などの経済特区は、すべて張氏が管理していた。

また、彼はスポーツの分野でもトップを務めていました。北朝鮮ではバスケット担当やレスリング担当など、それぞれの種目に担当書記がいますが、張氏はそれらを束ねる国家体育指導委員会委員長だった。北朝鮮の当局者からは『張さんに話を通さないと何も動きませんよ』と言われていましたから、独占的な権限があったのだと思います」