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2014年01月04日(土)

森喜朗×田原総一朗 「民主党政権の対ロ外交とプーチン」

『日本政治のウラのウラ 証言・政界50年』より(第5回)

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九 民主党政権の対ロ外交

日本政治のウラのウラ 証言・政界50年
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森 喜朗、 田原 総一朗(聞き手)
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――話を元に戻すと、プーチンが記者会見でシグナルを送ってきたのは、まだ民主党政権の頃ですね。

森 民主党政権だったけれども、ぼくはプーチンに会いに行こうと思ったんですよ。民主党政権の外務大臣は前原誠司さん、その後が玄葉光一郎さんだったけれども、ふたりとも「日ロ問題については森さんのルートが一番妥当だ」と認識してくださったようでした。

――プーチンがもっとも信頼している日本人が森さんだから。前原も玄葉もそう思ったわけね。

森 前原さんは盛んにロシアの誰か高官と接触して、その際にぼくの名前も出したようだね。玄葉さんもプーチンとどこかで会った時に、プーチン本人からぼくの名前が出て「ヨシは元気か」と聞いたそうですな。

――森さんのことを「ヨシ」と言うんだ。

森 「ヨシ、ヨシ」と言うんですよ、あいつ。それで、ぼくはプーチンのことを「ウラジーミル」と呼んでいる。

――アメリカのロナルド・レーガン大統領と中曽根康弘総理とが「ロン・ヤス」と呼びあったようなものだね。

森 玄葉外務大臣がプーチンに「森喜朗元総理がロシア訪問の意向を持っている」と告げたら、「楽しみだ。いつ来るの?」と聞いたというわけですね。それで、野田佳彦総理も官房副長官を通じて、ぼくに「ロシアに行ってほしい」と依頼してきた。外交はオールジャパンだし、ましてプーチンがそういうサインを出しているのに、ぼくが知らん顔をしているのもどうかなと思ったので、外務省を通じてロシア側にぼくの意向を伝えました。そして、まだ野田内閣だった二〇一二年十一月二十六日午後三時に森・プーチン会談を設定してきた。そうしたら、野田さんが国会の解散を宣言してしまった。

――十一月十四日でした。野田総理は十二月十六日に衆議院を解散すると言ったんですね。

森 それで、ロシア側から訪ロ延期の要請が来ました。ところが、非常に面白かったのは、野田総理の訪ロは十二月中ということで延期になったけれども、ぼくの訪ロは翌二〇一三年の二月二十一日にしてくれと期日まで指定してきたことです。

――ロシアから森さんの訪ロの日程を言ってきたのですか。へえ~。

森 それが、この前、ぼくがプーチンと会った日です。野田さんの日程を決めずに、ぼくの日程だけを決める。「おかしなことをするなあ」と思ったけれど、ロシア側は日本側の政治状況が変わることを読んでいたということですよ。総理が代わったら、すぐにはロシアに来られないだろうから、森だけが先に来ればよいと考えたのだろうね。

――政権がどうなろうが、森さんがまずロシアに来ればよいとね。結果的に安倍政権が誕生して、森さんは安倍内閣の特使としてロシアを訪問し、四月の大型連休に安倍総理本人の訪ロが実現したわけですね。

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