『馬喰』 原発20キロ圏内の馬たちは今

レビュアー:東 えりか

2011年3月11日、東日本大震災が東北地方を襲い、巨大な津波が沿岸に押し寄せた。ビルも電車も、家も車も、大人も子どもも、犬も猫も、逃げ遅れたものは津波に浚われた。飼育されていた牛も豚も、そして馬も流された。

本書はその流されながら生き残った馬を通して、ヒトとその土地に残る行事と、解決策が見えない原発問題を追ったドキュメンタリーである。

大震災から3週間たった4月、著者の松林要樹は、福島第一原発から18キロしか離れていない南相馬市原町区江井に立っていた。当時、南相馬市の桜井勝延市長が、被災者への物資を届けてほしいとYoutubeで流し、話題となっていた時だ。友人が向かうと言うのを聞き、ドキュメンタリー映画監督である松林も同乗した。被ばくを恐れて、物資を届ける者は少なく、手製の防護服を纏ってのことだったという。

今でこそ「原発の町」として世界に知られる場所になってしまったが、それまでは「野馬追の里」として有名な土地で、その郷土行事を行うために、多くの馬が育成されていた。家族同様に可愛がってきた馬だが、地震と津波、そして原発事故という一連の災害で、避難を余儀なくされた人々は、泣く泣く馬を置いていくことになる。放置された馬はどうなっているか。松林は市議会議員の田中京子さんと現地に入り、厩へ向かった。

そこにはやせがれた馬がいた。厩から顔を出そうともせず、ガレキに覆われ泥だらけで、エサもない厩の中から出てこようとしない。彼が写した映像が電波に乗り、この馬たちを救うことになる。そして松林自身、馬たちに魅入られるように深みにはまっていく。

原発から半径20キロ圏内の立ち入りは、国によって禁止されている。しかし馬の世話は出来るだけしたい、と避難所から通ってくる人もいる。殺処分の要請も断り飼育を続けていた。その年の5月、南相馬市のはたらきかけで、国はこの20キロ圏内の馬を南相馬市の馬事公苑へ避難させた。名目は、相馬野馬追という伝統行事に使うためである。

相馬野馬追は相馬中村神社、太田神社、相馬小高神社の相馬三妙見神社合同で行われる。約700年前から続けられてきたこの行事は、地元から500騎もの騎馬武者が出陣する勇壮な一大イベントである。大震災後、原発で避難していた人からは、早い復活を望む声があったのは、新聞報道などで知っていた。