『政治の起源』訳:会田弘継---原点回帰

歴史の終わり』の著者である政治思想家フランシス・フクヤマからこのたび拙訳で上梓された大著『政治の起源』()の執筆につながる話を最初に聞かされたのは、何年前のことだっただろうか。

フクヤマのネオコン決別宣言として世界的に話題になった『アメリカの終わり』の邦訳を終えて間もなくだったから、2006年の暮れか、その翌年だったかもしれない。よもやま話をしている中で、「なぜ、途上国の中に失敗国家が生まれる一方で、東アジアの国々のように順調に発展の道を歩む国家があるのだろうか」と、彼が半ば自問していたのを思い出す。

それが次の本の構想であるということはすぐ分かった。それからまたしばらくたったころである。「失敗国家のことについて考えて書いているのだが、なかなか終わらない」。神楽坂の路地を入った小さな居酒屋で、彼がそう語るのを聞いた夜の情景は、なぜか鮮明だ。アジアの発展の根っこに、中国文明の影響、特にその官僚制があるのではないか、とも語っていた。

その時は話が日本の近代化のことに及び、私がドナルド・キーンの『明治天皇』を引いて、宗教と近代化が絡み合う不思議なイロニーを語ると、フクヤマは強い関心を示した。彼が帰国した後、さっそく英語版の『明治天皇』をアマゾンで米国に送ったこともあった。

2011年、大震災直後に約600ページもの大著となって『政治の起源』(原題直訳は『政治秩序の諸起源』)が米国で出版された時には、やっと終わったかと、わがことのように安堵の思いがした。フクヤマによると、構想3年半、執筆に1年半ぐらいかかったというから、約5年かけたことになる。

『政治の起源』は、近代的政治制度がどのように発展してきたかを、人類発生の時にまでさかのぼって解明しようとする本である。ただし、単なる歴史書ではない。論争的な本である。その点、いまでも論議を巻き起こし続けているデビュー作『歴史の終わり』にも似る。二つの書には共通項がある。

その共通項について説明する前に、1992年に出た『歴史の終わり』の意味と、その後20年間のフクヤマの著作活動について整理してみたい。

『歴史の終わり』については、いつになっても同じような批判を聞く。フクヤマの講演会でも、決まり切ったように同じ質問が出る。いわく、「歴史は終わってなどいないではないか」。冷戦終結後もユーゴスラビア内戦、9・11テロ、アジア通貨危機、リーマン・ショック・・・・・・世界を揺るがすような事象には事欠かないではないか、というわけだ。

著:フランシス・フクヤマ
訳:会田弘継
 
◆内容紹介
本書『政治の起源』とその続巻は、政治制度発展と衰退の歴史的パターンを広範に扱う(略)。今日の政治にかかわる人々の多くは、歴史的文脈の視点を欠き、いま直面している問題が過去に起きた問題といかによく似ているかを理解していない。人類史を通じて、人の本性は変わっていない。「再世襲化」、すなわち支配階級が政治制度を私物化し自分の目的のために使おうとするような慣行は、中国の後漢時代や一七世紀フランスと同じように、現代でも普通に行われている。本書の日本での出版を通じて、日本の経験を世界の他のさまざまな社会の場合と引き比べるとともに、日本の諸制度の将来についての議論を活発化させる一助になってほしいと願っている。 ---(日本語版の序より)