第62回 藤山寛美(その一)
酒と女の深みにはまって大借金。大喜劇役者の「稽古漬け」子供時代

『あほやなあ 喜劇役者の悲しい自伝』は、なかなかに面白い、寛美本人が選びとらざるを得なかった人生観の凄まじさを、彷彿とさせる書物になっている。

「数年まえ、『親バカ子バカ』という芝居が、テレビでも舞台でもバカ当たりして、私の人気が出ました。/そのとき、ある人にいわれました。『今の藤山寛美の人気は本物ではない。あの若さで、それは危険だ。思わぬオトシ穴がある。思いもかけない深い奈落があるよ』/そんな危険信号を忘れた私は、フルスピードで、酒と女の深みにはまっていきました。あげくのはてに、一億四千万円という借金をこしらえ、ついに『破産宣告』、『松竹新喜劇追放』という制裁を受けたのです」

寛美が、この自伝を出したのは昭和四十二年十二月であるから、今日の物価に換算すると、どれほどの額になるのだろうか。おそらく桁を一つか二つ足さなければならないのではないのだろうか。

藤山寛美、本名稲垣完治は、昭和四年六月十五日に生まれた。
父である藤山秋美は、新派の二枚目役者だったという。

藤山家は典型的な貧乏所帯だった。
五人姉弟の末子として生まれた息子を完治と命名したのは、これで子供は打ち止めにするとのニュアンスが込められていたらしい。

そして昭和八年一月、父・秋美は四十六歳で死去した。
まだ幼い完治は、父の死を理解することができず、病棟から出られることが嬉しくて仕方なかった、と想起している。

その年の十月、完治に転機が訪れる。
千日前の大阪歌舞伎座に、花柳章太郎の新生新派の公演が行われていたのである。

母は、幼い完治の手を引いて、花柳の楽屋を訪れた。
花柳は、五人子供がいるのなら、一人は役者にしてもいいのではないか・・・・・・と提案したという。

話は、トントン拍子に進み、芸名も花柳がつけてくれた。
「とりあえず花柳先生が芸名だけでもつけておこうと言って考えてくださったのが『藤山寛美』という名前でした。父秋美より役者としても人間としても大きくなれ、寛大になれということで『寛美』となったわけ。おかげで借金まで人様よりも大きくなりましたが・・・・・・」(同上)