ブルーバックス
『古代世界の超技術』
あっと驚く「巨石文明」の智慧
志村史夫=著

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大型建機やコンピュータをしのぐ「すごい技術」!
ピラミッド、ローマの水道、マチュ・ピチュ……。
世界遺産の見方が変わる!
ベストセラー『古代日本の超技術』待望の姉妹編!


はじめに

 本書は、拙著『古代日本の超技術』(講談社ブルーパックス、一九九七年初版、二〇一二年に改訂新版刊行)の姉妹編であり、「古代世界の超技術」を述べようとするものである。前著の「はじめに」で述べたことと若干重複するが、私が古代日本、古代世界の「超技術」に興味をもち、それらに対して畏敬の念を抱くようになった経緯を簡単に説明しておきたい。

 私は、歴史家でも古代技術の評論家でもない。

 私は、現代文明の支柱であるハイテクの〝頭脳〟ともいうべきエレクトロニクスの基盤材料である半導体の研究に、日本とアメリカでそれぞれ一〇年ずつ従事した者で、いわば「古代」とは対極の場にいた人間である。

 歴史探訪を趣味の一つとする私は、いままでに国内外の数多くの歴史的建造物、古代遺跡を訪ね歩いた。私はその都度、コンピュータはもとよりクレーンや鉄骨などの土木・建築機材が存在しなかった古代の技術に驚嘆し、古代の技術者に畏敬の念を抱いたのである。私自身は土木・建築の専門家ではないが、〝文献主義者〟ではなく、長年〝ハイテク〟の現場にいた者だからこそ、目の前の〝作品〟に圧倒され、コンピュータやさまざまな機材に頼る現代人ではとても及ばない古代の技術者の信じがたいほどの能力を摩詞不思議とさえ思うのである。それらはまさに、〝ハイテクク〟を超えた〝ウルトラテク(超技術)〟と呼ぶにふさわしい。

 古代日本の超技術については、前著で縷々述べた。本書では「古代世界の超技術」を述べるのであるが、古代日本と古代世界の技術の基盤には顕著な差がある。

 古代日本の技術の基盤が「木の文化・文明」であるのに対し、古代世界の技術の基盤は「石の文化・文明」であることだ。もちろん、それらはそれぞれの風土、地勢、地理と不可分のものである。

 事実、私がいつも圧倒されるのは、日本にはない古代世界の巨石・巨大遺跡である。

 私がいままでに訪れた巨石・巨大遺跡を思いつくままに挙げると、ピラミッドやルクソール(エジプト)、万里の長城(中国)、アクロポリス(ギリシャ)、フォロ・ロマーノ(イタリア)、ナスカやクスコ、マチュ・ピチユ(ベルー)などである。それらを目のあたりにし、巨大建造物の構築をコンピュータやさまざまな機材、大型クレーンなどの〝文明の利器〟に頼る現代人の経験から考えると、私には古代世界の巨石・巨大建造物がとても〝人間業〟には思えず、いっそのこと〝宇宙人業〟にしてしまいたい誘惑に駆られる。

 しかし、〝宇宙人業〟を考えるより、前著『古代日本の超技術』で述べた古代日本の匠(技術者)が現代日本人がもっていない智慧と技をもっていたように、古代世界の匠(技術者)も現代人が失った智慧と技をもっていたと考えるほうが理性的であろう。それにしても、さまざまな〝ハイテク〟を謳歌する二一世紀文明の現代の視点からみても、依然として、謎に包まれていることは少なくない。このこと自体、事実として驚くべきことである。私の素朴な、そして単純な疑問は、「大型クレーンがない時代に、なぜあれだけ重い巨石を積み上げることができたのか?」ということに集約される。

 もちろん、本書で触れるように、私が驚嘆してやまない「古代世界の超技術」は巨石・巨大建造物に関わるものだけではないのであるが、「古代世界の超技術」の基盤は、やはり「石の文化・文明」であろう。「古代日本の超技術」の基盤が「木の文化・文明」であることと、実に対
照的である。