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スペシャル・インタビュー 明仁天皇と接した75年 幼稚園児のころからの級友(明石元紹氏)が初めて明かした
〔PHOTO〕gettyimages

● 疎開先でも両親に会えない孤独
● 中学時代のあだ名は「チャブ」
● 三島由紀夫の思想を警戒していた
● 美智子皇后との出会い

間もなく傘寿を迎える明仁天皇。青春時代をともに過ごし、つぶさに見てきた級友が語った、若き日の素顔。「滅私の人」は、いかにして生まれたのか。そして見えてきた、「平成皇室」のルーツとは。

明仁という一人の少年

陛下とは、私が学習院の幼稚園に通っていたときに初めて出会い、以後、同級生として陛下のおそばで過ごす運命となりました。

学習院時代、陛下と同じ馬術部だったこともあり、即位されるまでの間、多いときには年間40回も東宮御所にお伺いしています。さすがに即位されてからはその回数も減りましたが、それでも昔のようにくつろがれておしゃべりをしたことが何度かあります。

そんな私が、陛下について書き残しておこうと思ったのは、'12年2月の陛下の心臓手術がきっかけでした。陛下も私も80歳に近づき、万一のことが起きてもおかしくない……。そう考えたときに、大袈裟な言い方になりますが、日本のためにも、私が知っている事実を残しておくべきではないか、と思ったのです。

こう語るのは、今上天皇の75年来の級友である、明石元紹氏(79歳)。『坂の上の雲』でも有名な台湾総督・明石元二郎を祖父に持つ。