スポーツ

二宮清純レポート 最多勝2回の天才投手がついに引退
斉藤和巳 35歳元ソフトバンク投手
投げたくても投げられなかったあの日々が財産なんです

2014年01月05日(日) 週刊現代
週刊現代

斉藤が20勝をあげた年、小久保は右ヒザの故障で1年間、試合に出られなかった。成長した弟分の姿を見て頼もしく感じた。

「ランナーを出しても動じない。スコアリングポジションにランナーがいても〝ホームにさえ還さんかったらええんやろう〟というピッチングをしていた。今年のマー君と一緒ですよ。ピンチになればなるほど集中力を増していく。すごいピッチャーに成長したな、と思うと、リハビリで苦労していた時期を知っているだけに、僕としてもうれしかったですよ」

大柄ながら荒削りではなく、与四球が少ないのが斉藤の持ち味だった。

しかし、'03年に20勝するまでは、そうではなかった。花開く上で養分となったのが2人の先輩のアドバイスである。

斉藤がダイエーに入った頃、エースとして君臨していたのが西武からFA移籍でやってきた工藤公康である。王ダイエーの'99年のリーグ優勝、日本一はこのベテランサウスポー抜きにはありえなかった。

工藤は未完の大器に、どんなアドバイスをしたのか。

「トレーニングは、若いうちは足腰立たないくらいやらせた方がいいんです。本人のためを思って腕立て伏せや、猫が伸びをするように背筋を鍛える運動をやらせたら、次の日〝手が動きません〟と泣きを入れてきましたよ。

一軍で結果を出したいのなら、まず体力をつけることから始めなくてはならない。こういうトレーニングを地道にやるしかない。

最近の選手は、ウエイトトレーニングによって短期間のうちに筋肉をつくろうとしますが、ポンとつくった筋肉は一定方向の動きにしか力が働かないので、野球には役立たないことが多い。では、どうすれば野球で使える筋肉をつくれるか。僕はそのヒントを与えただけです」

悪夢にうなされた晩年

フォームづくりにおいては、日本ハムから移籍してきた武田一浩のアドバイスが生きた。

「彼を最初に見た時、背は高いし、球も速い。これは普通のピッチャーとはモノが違うとすぐにわかりました。しかし体の使い方が下手で股関節も固かった。だからストライクが入らなかったんです」

そんな、ある日のことだ。練習中の武田に斉藤が歩み寄り、こう懇願した。

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